Archive for ラグビー

Takanori

日本を変える力

先日、私の中でも1つマイルストーンとなるだろうと思えるミーティングに参加した。

参加者は、大手文具メーカーの役員を務められた中嶋さん、元日本代表のラグビー選手の小野澤さん、ラグビーマガジンの記者の成見さん、そして勝手に盟友とさせていただいている磯部さんである。

このようなミーティングが実現したきっかけは、10年前に出版した本である。「教えないで教える」というタイトルの、私がその時点で学んでいたこと、気付いたことを書いた本であるが、既に絶版になっている。だが、孫がラグビーを嫌いになってしまったという事件をきっかけに、中嶋さんがその本をブックオフにて入手し、書いてある内容に共感して行動を起こしてくださった。

私に直接電話をいただき、その場でミーティングを開くことが決まり、中嶋さんのコーディネートによりこのようなミーティングが実現されたのだ。

正直に言うと、私の本に書いてあることは、私が見つけたことではない。
ラグビースクールの先輩から学んだこと、書籍から学んだ事、受講生や子供に教えてもらったことがほとんどなのだ。

本はあまり売れなかった。それを「時期が早すぎた」と言ってくださる方もいるのだが、私が本を書く10年も20年も前から、コーチングの考え方は世の中に存在していた。

私はそれを、自分のためにまとめ、できれば多くの方に知って欲しいと思い本を書いた。
一部では良かったと言ってもらえたが、残念ながら全体に影響を与えるようなものではなかった。

近年、学校でもアクティブ・ラーニングが導入されるようになったり、コーチングをベースに置いた参加型の企業研修が評価されるようになってきている。
NHKでは「奇跡のレッスン」「白熱教室」というコーチングに関する要素が多く含まれている番組がシリーズ化されるなど、正しい指導に対する意識が高くなってきているのは感じられる。

確かに「時代の波」は来ているのだろう。

実はビジネスの世界でも「コーチングが重要」とか「人を育てなければならない」というのは何年も前から言われている。
それに関する研修も数多く実施されている。

だから「人の成長を求める」という「時代の波」はずっと昔から来ているのではないかと思う。

だが、実際にはコーチングが出来る上司、人を育てられる組織はそれほど多くなっていない。

人を成長させるための理論、理屈は既にある。実現するための方法論も数多くあり、紹介もされている。

にもかかわらず、実際にできているところ、できている人はそれほど多くない。

私は、それを学び、訓練する機会がないからだと考えている。

事例紹介は多いが、ちゃんと学べる機会は多くはないし、実際に訓練できる場、フィードバックを継続的に受けられる場はさらに少ない。
学べるはずの研修も、知識の伝達で終わっているために行動の変容にはつながらない。

ミーティングをきっかけとして、学ぶ機会を作り、継続的に学べるような仕組みを作っていきたい。

それを実現する道筋が少し見えたのが、私にとってのミーティングの意義であり、今まで講師育成と勉強会、グラウンドでのコーチ育成しか手段を持たなかった私にとって、それはマイルストーンとなることである。

「人を育てられる人を育てる」ための仕組みを作れば、日本は変わる。

「人を育てる文化」が、企業、学校、家庭、少年スポーツに定着すれば、日本は強くなる。

実現を目指して、焦らず、あきらめず、たゆまず歩み続けたい。

Takanori

コミュニティのありかた

三郷ミニラグビー交流会での自律分散について一つ前の記事に書いた。

今回はまた三郷ミニラグビー交流会に関連しての「コミュニティ」の話である。

何年か前までは、三郷ミニラグビー交流会というのは、私の所属するラグビースクールが運営し、各スクールがお客さんとしてきてもらう、という雰囲気だった。

もちろん、来ていただくスクールさんに気持ちよく参加してもらうための工夫は考えているのだが、なんとなく、ホストとゲスト、という関係性を感じられた。

いわば、私が属するラグビースクールというコミュニティが、ゲストを迎えている感じであった。

だが、ここ数年、変化が感じられる。

参加してくれる各スクールの方から、できることがあれば手伝いたい、というオファーをいただくことが増えてきているのだ。
実際にいろいろとお手伝いをしていただいていることも出てきている。

もちろんホストとして至らないことがあるからではあろうが、そのような場合、今までは「クレーム」とか「要望」という形で上がってきていたが、最近はそれが減っている。

そうなってくるとどうなるかというと、三郷ミニラグビー交流会自体が一つのコミュニティになってくる感じがする。
参加する多くの方が運営する意識を持ってくれることで、全体が一つのコミュニティになるのだ。

コミュニティができると、それぞれが「三郷ミニラグビー交流会の成功」という目的を持ってくれるために、多少の不便があってもそれを受け入れてくれ、改善のための工夫をしてくれたりする。

必要な事は、みんなで一つの目的を、なのだ。

それが伝わって共有されれば、全体がコミュニティになれる。

三郷ミニラグビー交流会というラグビースクールのイベントだが、組織運営、組織作りのさまざまなヒントがある。
そこからどれだけ多くのことを学べるか。

どのようにコミュニティを充実させていくのかは、これから先の課題である。
今のところ、現実的にどのように進めていくかの基本的な方針は分かるが、より具体的で効果的なアプローチはまだまだである。

来年に向けてさらなる思考と工夫をもって、より多くのことを学びたい。

Takanori

自律分散組織のすごみ

今年も三郷ミニラグビー交流会が終わった。

私の所属するラグビースクール主体で運営している、近隣県からの参加も含め26試合が開催される大規模なラグビーの交流会である。

昨年(2015年)のラグビー・ワールドカップの影響か、今年は人数が増えたスクールが多く、チームの数で2割5分増えており、昨年の1日で実施する124ゲームが154ゲームに増えた。

事前の申告を元に計算した参加者は子供、大人全て合わせて3000名に迫る勢いで、同時に13グラウンドでゲームが行われる、まさにラグビー漬けの一日となった。

三郷ミニラグビー交流会全景

当然ではあるが土地の面積が増えるわけではないので、人口密度は高くなり、今までの三郷ミニとはずいぶん雰囲気が変わったのを感じた。

人数も、車両台数も、ゲーム数も、今までとはだいぶ違った今回の交流会だったので、始まるまではいろいろと心配なことが多かった。

私自身が交流会運営のメイン担当ではないのだが、スクール内で古株になっていること、以前はメイン担当もやっていたことなどもあり、ある程度の提案や指示などをさせてもらっている。
しかし、結局のところ、準備段階を含め、私が実際に行ったことは、私の担当である組み合わせ作成を念入りに行い、クレームが起こりそうなことに対して少し事前対処したぐらいで、逆に細かい指示を減らしていった。

結果はどうだったかといえば、いつも以上に問題なくスムーズに進み、終わった。

もちろん、ひとつひとつを見ていけば、それぞれの部分はたいへんなことになっていたのは間違いない。
駐車場の采配、ゲーム前の集合、交流会前のグラウンド設営、水の手配などそれぞれの作業量は増えているし、細かいハプニングもいくつかあった。

だが、駐車場の采配、グラウンド設営、集合管理など他のスクールさんの協力もいただきながら、それぞれの担当部署で工夫をしながら乗り切り、全体が無事に終了した。

以前に自律分散について書いたことがある。
三郷ミニラグビー交流会は、自律分散によって運営され、組織の運用という面から見ても素晴らしい見本となっている、という内容である。
もちろん今年も自律分散は素晴らしく機能した。

今年気付いた1つの変化は、全体の進行状況が昨年より見えなくなったことだった。

トラブルがない、もしくはその報告がないことが一つの原因である。
そして、もう一つは、何かが完了したときも「ぜんぶやっといたから」でおしまいで、その内容まで踏み込まないことがもう一つの原因だろう。
もともとそのような作業に対してのチェックリストも持っていないし、どうやるかという予定を聞いていてもそれのチェックももちろんしない。

任せた人が大丈夫というのならば大丈夫なのだ。
予定と違うことがあったとしても、担当した人がそれが必要だと考えたなら、必要なことだったはずである。
そこを信頼しないで、自律分散などできようがない。

毎年いっぱいいっぱいで回していたような気がする三郷ミニ交流会が、突然3割増しになっても、自律分散は機能した。
それも、これまでのように、ではなく、これまで以上に。

繰り返す中で、それぞれの担当のスキルも向上していく。

組織を、人を育てる上で、自律分散の組織は本当に強い。
今年はあらためて、自律分散のすごみを感じさせられた三郷ミニラグビー交流会であった。

ちなみに、自律分散組織がきちんと機能する上で欠かせないものが一つある。
それは組織全体に共有される目標である。

三郷ミニラグビー交流会の目標は、たぶんこんなところだろう。

「子供たちが1日楽しめる交流会を無事に運営し、早く帰ること」

言葉にしているわけではないが、これが自然と共有されているところが、私の所属するラグビースクールのふくじゅ草のいいところなんだろう。

三郷ミニラグビー交流会に関してはもう一つ書きたいことがあるが、それは次の投稿で。

Takanori

トーナメント大会の問題

先日、ヒーローズカップ関東大会というのが熊谷ラグビー場で開催された。
トーナメント形式で最終的には日本一を決める小学校高学年の大会である。

主催者は、元日本代表の林敏之さんであり、全国を飛び回りヒーローズカップを開催されている実行力には本当に敬服する。

実は、小学生が参加するトーナメント大会というのは、埼玉県ラグビー協会では実施されていない。
埼玉県では交流会が開催されているが、その交流会では得点ボードも存在しないし、もちろん記録に残さない。

これは「勝ちにこだわることはよくない。」という考え方からであるが、その「勝つ」ということを巡ってはさまざまな考え方が交錯しており、さまざまな誤解があるようなので整理をしておきたい。

1つ1つの言葉の意味がとても重要なので、必要がある場合には言葉の定義をしながら話を進めたい。

林敏之さんがトークショーにおいて「スポーツだから勝たなければダメ、勝ち負けにこだわらなければエンターテイメントやトレーニングになってしまう。」という旨の発言をされていた。

林敏之さんの意図を考えると「エンターテイメント」というのは「競技性のない運動」というイメージかと想像できる。
「トレーニング」についても同じような「競技性のない自己鍛錬のための運動」という意味かと思われる。

つまりスポーツとは「競技性がない運動」ではだめである、と言われていると思う。

これは正しい意見である。
特にチーム対チームで戦うラグビーのような種目において、競り合って相手に勝つことが大切であることは間違いない。

ただし、試合(試し合い)、ゲーム(文字通りゲーム)といわれるように、「勝たなければ意味がない」というようなことではないので注意が必要である。

相手に勝つことをモチベーションとして練習をし、練習の成果を試合によって競い合う、というのが本来の姿である。
そして、その競い合いと練習を楽しむ、というのがラグビーというスポーツの本来のあり方である。

また、その競い合いと練習の中から、心と身体を育て鍛えていく、というのも特に年少期のスポーツでは大切な要素である。

つまり、競い合って相手に勝ちたい、と考えるのはラグビーというスポーツにおいては重要な要素である。
決して勝たなくてもよい、ではなく、勝ちたいと考えて努力するのは正しいことなのだ。

それではなぜ、勝たなければ上に行けずに優勝をめざすトーナメント大会や、勝ち負けを記録に残すことをしないほうがよい、という意見があるのだろうか。

答はプレイをする子供ではなく、指導する指導者の方に問題があるからだ。

指導者が勝ちたくなり、子供を自分の思い通りに動かそうとしたり、怒鳴りつけたりすることで、結果的に、将来がある子供のチャンスを潰してしまったり、ラグビーを嫌いにさせたりしてしまう。
このようなことは、実際に高校などの指導の現場で起きている。
高校で燃え尽きてラグビーから遠ざかってしまうような子供が多いというのは、トーナメント大会の弊害があることの証拠であろう。

同じようなことが、小学生、中学生のラグビーの現場でも起きている。
さらに、勝ちたい指導者と、子供を育てたい指導者との軋轢からスクールが分裂してしまうようなことも起きている。

解決策は一つしかない。

指導者が勝ちにこだわらないようになることである。
勝つことではなく、勝てる力を子供に与えることを目的とし、子供が戦った結果を受け入れる、ということができるぐらい指導者が成熟したならば、いくらでも勝ち負けが記録に残る大会に出ればよい。

だが、現在は指導者が先に熱くなり、勝ちたくなり、子供を犠牲にしてしまう。

だから、トーナメント大会を開催することよりも、指導者をきちんと育てることの方が先なのだ。
指導者が育たないうちに、小学生のトーナメント大会を広く広めることは、将来有望な選手になる可能性のある子供をラグビーから遠ざけることになってしまい、結果として日本のラグビーの弱体化にもつながっていくことになるだろう。

決してトーナメント大会がいけないわけではない。
勝つために子供を使い潰してしまうような指導者がいることが問題なのだ。

単純に順番の問題である。

指導者を育て、トーナメント大会を有効に活かせるような環境ができてからの大会であれば、なんの問題も無いどころか、よいモチベーションとすることができるだろう。

勝ち負けについては他にもある。

指導者が子供に対して「勝たなくてもいいよ」というのは論外である。
子供は勝ちたいのだ。
勝てるだけの力を与えられない指導者が言い訳として「勝たなくていいよ」と言ってしまっては、なんのためのラグビーなのか分からなくなってしまう。

指導者の理想は「勝て」と子供に言い、子供が全力を尽くして戦うモチベーションと戦うスキルを与え、子供たちが自ら判断しながらゲームをできるようにし、試合で勝てたら子供の努力と力を認めてさらに上を目指させ、負けたら自らの指導力のなさを悔いて努力をする指導者であるはずだ。

将来を担う子供たちと、日本のラグビーのために、このような指導者がたくさん育つことを心から願っている。

Takanori

ミニラグビー交流会のマネジメント

三郷ミニラグビー交流会が、参加してくださったスクールの皆さんの協力もあり、無事に終了しました。

まずは、参加していただいた各スクールの方々にお礼を申し上げます。

三郷ミニラグビー交流会は、毎年、20数スクール、2000人以上が参加し120ゲーム前後が行われる、実質1スクール主催のイベントとしてはかなり大規模な大会です。
9月中旬から各スクールに参加の意向をうかがい、代表者会議、レフリー講習会、備品確認、各種打ち合わせや組み合わせの作成などを行い、前日には荷物の積み込み、当日の開催と撤収、という流れを、スクールの指導者と他のスクールの方のご協力をいただいて実施していきます。

そんな三郷ミニラグビー交流会ですが、今回は、交流会と私自身の関わりについて書いてみたいと思います。

私が三郷ミニラグビー交流会の担当ととなったのは2003年でした。
それから既に10年以上やってきましたが、私にとってはとても大きなマネジメントの学習をする場となっています。

担当を引き継いで最初の数年間は、引き継いだときの資料がほとんどなかったこともあり、交流会の運用をできるだけルーチン化することを考えていました。
作業のための資料を作り、細かい段取りや手順を考え、担当を配置決めて細かい指示をし、滞りなく交流会が終わるように、と必死だった記憶があります。
その頃には、参加してくださるスクールの方々との面識もなく、お客さんをもてなさなければならない、問題があってはいけない、という気持ちが強く、なんとか交流会を無事に終わらせることができるように、と祈っていました。

数年経つと、ある程度作業の流れが決まってきて、資料もそろい、ルーチン化できるようになってきました。
そうなると、多少の余裕も出てきて、今まで見えなかったことが見えるようになります。
それは「指示していないことも行われている」ということでした。
そして、そのおかげで、交流会が無事に実行できていたのです。

それまでは「私が担当なんだからやらないと」という気持ちがとても強く、逆に言うとエネルギーをかけていた分「私が交流会をうまく回しているんだ」と思い上がっていた部分があります。

実際にはとんでもない話です。
私の見えないところで、現場にいる人たちが一生懸命に自分で考えて作業をし、そのおかげで交流会が実現できていたのですから。
それが見えない私はチームマネージャーとしては「だめな人」でしかないでしょう。

それに気づいた頃「自律分散」というキーワードを知りました。
そして、交流会の運用がまさに「自律分散」であること、そしてその威力を理解しました。

その後の私は「自律分散」について積極的に取り組みました。
少しずつ、自分でやっていた作業を減らし、担当となっている人にお任せし、問題があると思うところだけ意見を言わせていただき、担当がいないようなことがあれば私がやらせてもらう、という形にしていきました。

そうしたら、何のことはありません。
毎年いくらかの問題があったとしても、ちゃんと交流会が開催され、終わっていくのです。
いくらかの問題は、私が必死になっていた頃にもあったもので、任せたから発生した問題でもありません。

もし、何か固定的な問題があるとすれば、私自身が考えたとおりにはならないこともある、ということぐらいです。
そしてそれは、交流会の実施という目的に対しては本質的な問題ではありません。

もちろん、気になるときはあります。
あそこはどうか、ここはどうか。
ですが「任せて任せきること」という人材育成で私が実感している原則は、組織の人を動かす上でもまた同じように大切な事なのです。

最近では、参加してくださっているスクールの方々にも運営に協力していただいています。
準備や撤収の作業もそうなのですが、スクールの待機場所の調整や、レフリーの入れ替えなども、「空いているところを適当に使うから大丈夫だよ。」「こことここのレフリーを入れ替えたいので、お互いに調整しておいたからよろしく」というレベルで勝手にやってくれているのです。
何年もかけてつながってきた人間関係がベースにあるからできることなのだと、これも実感しています。

10数人のコアチームがあり、最終的には2000人を越えるチームが交流会の成功という目的に対して意識を持って動いてくれる。

それが今の三郷ミニラグビー交流会というプロジェクトなのです。
交流会を10回以上経験し、ある程度は細かいところまで意識できるようになってきた今であれば、管理型のマネージメントもやればできるだろうと思います。
ですが、その時の限界は、私個人の限界に直結します。創造的な発展も、チームとしてもつ力を全て発揮することもできないでしょう。
自律分散型のチームの限界は、私個人のそれよりもはるかに高いのです。
今年は、日本ラグビー協会副会長も見学に来られ「これはいい」と言われていたと後から話をききました。

Cチーム内のグラウンド内コーチをなくすという試みもよい成果を残したと思います。

フェアプレイ賞をゲーム後に決めるという習慣も、他府県に広がっているという話もうかがいました。

「まだまだこれからできることがある。」

10年以上三郷ミニラグビー交流会の担当をさせてもらってきて、やっとそう思えるようになってきました。

ただ実施することだけが目的ではなく、価値を生み出すことができるイベントを。

私自身が発想するわけではありませんが、それを目指しているスクールの団長や他の方々の「やりたいこと」を支援できるようなチーム運営ができたらよいな、と思います。

Takanori

少年ラグビーのコーチ

ラグビーワールドカップにおいて、日本代表が南アフリカに勝ったことによって、一気にラグビーへの関心が高まった。

南アフリカ戦の戦いを見て心が震えた人も多いだろう。
私も涙なくしては見られないゲームだった。

あのゲームを見、エディ/ジョーンズヘッドコーチのさまざまな発言を聞く中で、あらためて、ラグビースクールでのコーチングについて考えた。

小学生、中学生が対象のラグビースクールにおいては、そこで勝つことがゴールではない、ということを分かっていないコーチが多い。
もしくは分かっていても、そのゲームにコーチとして勝ちたい自分を抑えられない場合もある。
そういう人は、例えばトーナメント戦で負けると腹が立つ。
勝てばいい指導をしたからだ、と思う。

逆である。

負けたらそれは子どもの力を引き出しきれない指導者の問題をまず考えるべきである。腹を立てて怒るなどは、子供立ちに責任を転嫁しようとしてるだけである。
勝ったら、それは子供立ちが頑張ったからである。

また、ある年代、特に小学生、中学生に対して、どのような能力を育てるべきなのか、ということも考えずに、自分の知っている(決してベストではない)ラグビーの形を、そのまま子どもにやらせて満足し、できなければ怒るコーチもまた多い。

育てるべき能力が分からなければ、それを育てるための方法も分からない。
だから、自分がやらされてきた練習メニューを子供たちにもやらせる。

子供たちにとってはいい迷惑である。
少年ラグビースクールのコーチの役割は、それほど難しいことではない。
担当する少年少女の人生が少しでも良いものになるように、運動能力、考える力、コミュニケーション能力などの基本的な力を育てることである。
そしてその延長として、例えば世界で戦えるスポーツ選手などの人材となれる基礎と可能性を作ることである。

それ以外の役割も目的もない。

コーチの役割は、決して、そのコーチの持つ中途半端なラグビーの知識で知ったかぶりをしてラグビーの形を教えることではない。
それでは基礎を作るどころか、子どもが持つ可能性を潰すだけだ。
子どもの成長に関わるコーチは、その子どもの人生に責任を持つことになる。

コーチはその責任を自覚し、育て方を学び、実践できるように訓練しなければならない。
これは、人を育てる、という作業をするものにとっての義務だと考えなければならない。

ちょっとラグビーを知っているから、昔プレイヤーだったから、ということだけでコーチをしていてはいけない。
過去にどれほど素晴らしい選手であったとしても、子どもの将来に対して責任を持つために、育て方を学ぶ事は義務なのだ。

具体的な方法論を折に触れて示していこうと思うが、読んで知るだけでは変わることは難しい。
考え、気づくことでしか人は変われない。

ぜひきちんとした知識を学び、現場で実践し、振り返りを行ってほしい。

最後に繰り返しておきたい。

コーチの役割は、今、自分がしたいことをすることではない。
子どもの将来のためになることをすることだ。
そのためには育て方を学ばなければならない。

これだけは忘れてはいけない。

Takanori

コーチングはアートなのか?

ラグビーワールドカップの日本代表の活躍を見て、あらためてエディー・ジョーンズヘッドコーチ(以下、エディさん)のことを知りたくなり、ネット上のいろんな情報を探したり、本を読んだりしている。

その中で、「ラグビー日本代表ヘッドコーチ エディー・ジョーンズとの対話 コーチングとは「信じること」」という本も読んだ。

読んでみて、全体としては「さすがにすごいな」と思わせられるところばかりであったが、1つだけ気になることがあった。

この本の中でエディさんは「コーチングとはアートである」と言っている。

気になるところはここだ。
細かく読んでいけば、コーチとしてすべきことをすべき時にあるべき形でやっているのが分かる。

実際にできているのは、日本代表の活躍を見ても間違いないところであるが、でもそれを「アート」と表現してしまうところにどうしても引っかかってしまう。

よく読めば、ルール化、明文化、数値化しづらい人間の「感情」に対応するときの方法の選び方や見極め方を「アート」としているのが分かる。

だが、これは、講師育成やコーチ育成で必ず伝えなければならないことだと私は考えており、伝える以上、「アート」ではいけないのだと思っている。

恐らくエディさんは他の指導者を育てた経験が少ないのではないかと思う。
多くの選手を育ててたときにしたように、指導者を育てるのであれば、自分で行っている「アート」を分析して「スキル」にしているだろうからだ。
私のような一介の研修講師が、ワールドクラスのエディさんについて何かを言うのはおこがましいのかもしれないが「コーチングはアートである」という言葉が一人歩きしないように願わずにはいられない。

「アート」を実現する「スキル」を持たない指導者が「センスがないから」という言葉で「スキル」を学ばないことを正当化してしまうような気がするからだ。
選手を含め人のやる気を引き出したり、自主性を引き出したりするときには、観察に基づく対象の把握と、どのような結果をもたらすかの予想が不可欠である。
もちろん、どのようにしたらよいのか、というアイデアを出す準備や手法のストックも欠かせない。

これらをスキル、知識として持ち、使いこなせれば、コーチングを知らない人からは「アート」もしくは「マジック」という呼ばれる成果が上がることがある。

だが、誰か特別な人しかできない「アート」でも「マジック」でもない。
違うのだ。

あくまでも、スキルだから、考え方を学び、自分を向上させ、必要な知識を身につければできるようになる。
もしそうでなければ、私が行っている講師育成研修などは意味がなくなってしまう。
この「スキル」と呼ぶべきものを「アート」と表現していること以外、エディさんは素晴らしい、と思う。

対象の分析、学ばせる内容の選択、学ばせ方の選択、学べる環境の構築、モニタリング、コミュニケーションができるコミュニティ作り、コミュニケーションスキルの向上、自主性を引き出し判断し動けるようにし、自信を持たせる。

すべて、コーチングの基本的な考え方であり、講師育成研修で伝えている、もしくは伝えようとしている内容である。
それを、世界レベルで実践しているということには、あらためて敬服する。
世界のエディさんと自分を比べることは、やはりおこがましいとは思うが、使っている道具は同じものであるのは間違いない。

私は私のフィールドでできるだけのことをやっていこうと思う。

Takanori

解釈

人間はいろいろなことに対して解釈をする。

予選プールで3勝しても決勝トーナメントに進めなかった、2015年のラグビーワールドカップの日本代表の活躍は素晴らしかったが、この躍進にも、さまざまな「解釈」が出てくることだろう。

例えば、今回の大会での1つのキーワードにもなっている「ハードワーク」であるが、これを元に、きつい練習を押しつければいい、という解釈が出てくるかもしれない。

「マインドセット」という言葉も使われているが、これに対して「勝とうと思わない者はだめだ」などという解釈が出てくるかもしれない。

トライにつながったサインプレーを見て、「やはりサインプレーを教えないとだめ」という解釈もありそうだ。
もちろん、それぞれが間違っているとは思わない。

今回のワールドカップでの活躍のベースには「勝つ、勝てる」という「マインドセット」、世界に通用するフィットネスを身につけるための「ハードワーク」があったのも確かであるし、見事なサインプレーでトライをもぎ取ったのも間違いない。

だが、解釈というのは往々にして「自分に都合よく」なされることに注意が必要である。
マインドセットを作るためにどれぐらいの努力と時間をかけたことか。
それを理解することなく、「勝とうと思え、思えない者はだめだ」と言うだけの指導者が「マインドセット」をいくら連呼しても意味がない。
だが、自分の言っていることを正当化するために「マインドセット」という言葉を解釈してしまう。

モチベーションを引き出せないまま、きつい練習を強制するだけの指導者が「ハードワークが必要だ」というのも同じようなものだ。

サインプレーを活かす、フィットネスやディフェンスのスキルをおそろかにしてのサインプレーの練習などは本末転倒も甚だしいが、「サインプレーは大事」という解釈をすればそれも正当化されてしまう。
大切なのは、自分に都合のよい、自説を強化するような解釈ではなく、きちんとした分析なのだと思う。

「マインドセット」を変えるために、現状を認識させ、どうやったら変えられるかを考えて時間をかけてそれを実現してきた。

「ハードワーク」に向かうモチベーションを作り上げ、そのハードワークの結果を実感させることを通してさらにハードワークに向かうモチベーションと自信を高めてきた。

「サインプレー」を活かすための、フィットネス、ディフェンススキル、コミュニケーション力を高め、どこで使うべきかの判断をする判断力を身につけさせるための練習をしてきた。

これでは、とうていおおざっぱすぎて分析というようなものではないが、1つ1つのことをきちんと考えなければならない、というのは分かってもらえるのではないかと思う。

そして、指導者としては、分析して得た結果を受け入れて着実に実施する、スキルと粘り強さが必要になるはずだ。
などと書いてはいるが、油断すれば勝手な解釈をしてしまうのは私も同じである。
だから、常により多くの視点から見て考えることを意識し続けたい。

解釈ではなく分析を。

自戒を込めて。

Takanori

ラグビー南アフリカ戦

2015年9月19日。

ラグビーのワールドカップで日本が南アフリカに勝った。
それがどれぐらいすごいことなのかは、さまざまなメディアやブログ、SNSなどで取り上げられているから、今さら言うこともないだろう。

私はそのゲームをLIVEで見ていて、勝った瞬間、いや、最後のペナルティーでスクラムを選択したときから涙しながら見ていた。

勝ったこともすごいが、それよりも、前回のワールドカップからの4年間の血のにじむと言うような表現では全く足りないだろう努力を続けた選手達に対して涙が出た。

以前はどんなゲームでも最後には足が止まり、好き勝手に走られトライを取られていたのに、今回は最後にペナルティーからトライを取るという判断をできるほどの力をつけたのだ。
どれほどの練習をし、その練習がどれほどの自信を持たせたのか。

ボールのハンドリングのミスもほとんどない。
やってみると分かるが、高速で飛んでくる楕円球を、相手とぶつかるというプレッシャーの中で自由に扱うというのはなかなかにむずかしい。
よっぽど練習をし、集中力を持っていなければ、あれほどのハンドリングはできないだろう。

さすがに中3日のスコットランド戦では集中力が切れていたようだが、それでも最後まで戦い続けていた。
これも「ハードワーク」と表現される厳しい練習の成果であるのは間違いない。
このようなゲームを見て、我々、子どものラグビースクールのコーチは何を学ぶべきであろうか。

我々が目指すのは、常に、将来のワールドレベルのゲームを楽しめるような選手だ。
「どうせ子どもが相手なのだから、自分が知っていることを教えておけばいいや」
ではだめである。

子どもの可能性を狭めてしまうからだ。

最高のゲームを見て、それを分析し、担当している子どもに適したスキルを与えなければならない。

例えば、スペースを見つける力、規律を守り粘り強く頑張る力、ボールのハンドリングスキル、自分の身体をコントロールする調整力、長い時間走れる持久力、相手を捕まえられる筋力、瞬間的な判断力などである。
さらに言うならば、スポーツを好きで楽しいと思う気持ちも欠かせない。

それらをきちんと身につけさせることができれば、子どもが望んだときにより上に行ける可能性が高くなる。

ラグビースクールのコーチの役割とは、子どもの可能性を広げてあげることだ。
決して目先のゲームに勝たせることではない。
また、ゲームの中には、鍛え上げた身体だからできるプレーがいくつもあった。

ボールを持って突っ込むときのローヘッドや、首も使って相手を止める逆ヘッドである。
逆ヘッドについては、サモア戦での山田選手の怪我を見ても分かるように、基本的に危険なプレーで子どもには絶対にさせてはならないものだ。

南アフリカ戦では鮮やかなサインプレーでトライを取った。
だから、サインプレーが大事だ、などと言う人がいるかもしれないが、あれも、それまでの徹底したディフェンス、確実なハンドリング、走りきるフィットネスがあって、初めて有効だった、ということを忘れてはいけない。

目先の華やかなプレイに惑わされることなく、必要なことを地道に続けることが大切なのだ。
なお「目先のゲームに勝たせることが目的ではない」と言うといろいろな誤解を招くことがあるので、念のために付け足しておく。

勝ってはいけないわけではもちろんないし、負けることがあたりまえでもない。

きちんと一人一人の能力を高めてあげれば、自然に勝つようになるはずである。

もしちっとも勝てないのであれば、練習がちゃんとできていない、スキルをきちんと伸ばせていない、と考えなければならない。
ワールドカップのようなレベルのゲームを見ると、ラグビーというスポーツに本当に必要なスキルを見つけられる。
スキルを見つけたら、身につけさせる練習メニューを考え、それを楽しく実施すればよい。

Takanori

やわらかい実感

昨日、ラグビースクールのコーチ同士の新年会があった。

さまざまなことを話している間に、当然ながら、幾つもの言葉と出会ったのだが、その中で一つ、とても気に入った言葉があった。

表題とした「やわらかい実感」という言葉である。

この言葉を発した方は、別種目ではあるが、大学や高校での指導経験がある方で、その経験の後にラグビースクールでコーチングを学び、その後、また高校生を指導したときに、ラグビースクールでの指導の正しさのようなものを、「やわらかい実感」をもって感じたそうである。

このコーチは、グラウンドであまりきれいな言葉使いではない。乱暴な言葉ではあるのだが、「なんだ、このやろー」と言いながらにやりとしたりするので子供達はついていく。
このコーチの現場でのコーチング技術はとても高く、私も参考にさせてもらっている。
体系化されていないのかもしれないが、気持ちをつかむ基本はきちんとできているし、練習中の観察も指摘のタイミングも、メニューの展開のしかたも見事である。

恐らく、ラグビースクールでコーチとなる前にも、多くの試行錯誤と訓練を繰り返してきたのだろう。

そのような経験をし、コーチングを学ぶことで「やわらかい実感」を得る。
「あぁ、こういうことだったんだな」
という感じなのだろう。

他の先輩コーチとも、その感覚は分かるよね、という話をした。
コーチングの目指すところが腑に落ちた瞬間なのだ。

知る、と、理解する、の間は不連続である。
知る、と、理解する、の間には溝がある。

きっと「やわらかい実感」はその溝にかけられた光る橋なのだろう。