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Takanori

グループワークによる研修の作り方

私の研修では、IT系の技術研修であってもグループワークを多用する。
なぜなら、その方が学習効率がはるかに高いからである。

私はグループワークにより研修を構成することに慣れてしまったので、もうそれほど難しいことだとは感じないのだが、はじめて取り組む人には難しいことだろうとは思う。

難しいと思う人に少しでも役に立てるように、今回はグループワークによって研修を考える際の考え方を簡単に記したい。

グループワークにて構成する研修では、次のような流れで考える。

1・学んでもらいたいことを分解、分析する。
2・学んでもらいやすい流れを考える。
3・気付いたり考えてもらえる課題を考える。
4・課題を実施した際の展開をシミュレーションする。
5・シミュレーションの結果から課題を修正する。
6・適切なインストラクションを考える。

そして実施する。

7・グループワーク中の様子を観察し、問題あれば修正する。
8・グループワークの結果から学んでもらいたいことを伝える。
9・結果を検証して記録に残す。

実施が終われば振り返りである。

10・発表、振り返り、強調など

1の「分析」がグループワークの成果を決める上で重要である。
例えば「話せるようになる」を研修の成果として考えた場合には、「話せない原因は何か?」「その原因は本当に唯一の原因なのか、他にはないのか?」「原因を克服、もしくは他の方法でカバーするにはどうするか?」など、必要な要素に分析し、対策を考える。
この時点で的を外してしまえば、グループワークの意味がなくなってしまう。
実際には、分析ができないようでは、教えること自体もままならないはずである。

3の「課題を考える」はアイデア勝負である。
瞬間でアイデアが浮かぶ場合もあるし、そうでない場合もある。
そうでない場合には、1日も2日も3日もかかることがあるが、ここで手を抜くと期待した成果が上がらない。
既存の課題をカスタマイズしたり組み合わせて使うこともある。
分析を元にした自由な発想がここでは重要である。
グループワークの実施には、実施に向けてのインストラクションが欠かせない。
6の「インストラクション」ではそれを検討する。

グループワークの種類や、参加者の人数や状態によっても導入インストラクションの方法は変わってくるが、だいたいの流れはある。

1・最初に質問をして興味を引き出し、質問を繰り返しつつ興味をより対象に向ける。
2・希望などとからめて目的を与えモチベートする。
3・グループワークの内容を正確に伝える。
必要ならば、何度か言葉を変えつつ繰り返す。
4・質問を受け付け、曖昧な点をなくす。
5・納得できる時間の設定を行う。
6・焦らすようにしつつ開始。

これは私が無意識に行っていたことを簡単に分析した結果である。なので他にもパターンはあるのだろうが、最もポピュラーで応用が利くように思える。
10の「発表、振り返り、強調」をきちんと行うことで、グループワークの成果を活かせる。
この「グループワークで出てきたもの」のハンドリングには分析の結果、また、分析に利用した知識などが必要になる。リアルタイムでの判断も必要になるので、神経を使うところである。
だが、ここがうまくできないとグループワークだけで研修を構成することは難しい。
他にも、1の前にどんな話しから入るのか、なども重要な要素である。
結局、精度の高い分析スキル、雰囲気を作れるスピーチスキル、場とのセッションを維持するスキル、グループワークの状態の観察スキルなどの各種スキルが必要になるのだが、これらをクリアしてぴったりはまったグループワークができると、驚くほどの成果が上がる。

その成果を見てしまうと、もっと広く、もっと深く、を目指す学びの場を創りたいという欲求が湧いてくる。
先日はインプロの要素を取り込んだグループワークにも挑戦した。
結果は、設計、実施した私が驚くようなものだった。

やはり原理原則は裏切らない。
基本に則って、ひとつひとつをきちんと実施することが、最大の成果につながるのだというのを強く感じることができた。

不安の中のチャレンジではあったが、チャレンジしたことによって、少し「広く」を進めることができたように思う。

Takanori

講師育成はマネージャ育成と同じ

今年も講師育成研修に携わる機会をいただいた。

講師育成のカリキュラム設計や実施スキルは、そのままマネージャや教師など、人を育てたり、チームを運用したりする人を育てる研修に適用可能である。

講師育成研修では、方針の決定、カリキュラムの作成、講師育成を担当する講師の育成、意識付けの研修実施、実施中の他の講師へのフィードバックやアドバイス、参加者のモニタリングなど、全般に関するマネジメントを行っているが、その中で、人の意識を変えていく研修のあり方について、方法論としてある程度確立できたと考えるようになった。

また、それを担当する講師に必要なスキルについても、かなり明確になってきた。
もちろん、講師の仕事に100%はないので、さらに学び続けることになるが、現時点である程度の成果を「見込める」ようになったと判断してもよいと思う。

これまで、その方法論で構成された講師育成研修に参加してくださった方の中には、研修での講師経験のあとに、現場に戻られて大きく成長されたという報告を受ける方が、かなりの数おられる。
現在進行中の講師育成においても、家族との関係が変わった、というお話をうかがうこともあるが、これも研修の成果の一つだと思う。

これらの経験と実績を元に、今年はマネージャやチームリーダー向けの研修を実現していきたいと考えている。

実は講師としてのスキルや意識は、そのままマネージャやチームリーダーのスキルや意識になる。

講師を「説明する人」ととらえている限り、講師とマネージャの関連性は見えてこないだろうが、講師を「研修現場の成果を最大化することが目的のリーダー」としてとらえてみたらどうだろうか。

リーダーの役割は「チームの成果を最大化すること」であり、講師の役割も「チームの成果を最大化すること」である。
成果そのものが作業の結果であったり、売上の向上であったり、成長であったりはするが、結局は、チームメンバーがその気で動くようにならなければ実現できないという点では同じことである。

だから、よい講師であるということは、よいリーダー、マネージャになれるということなのだ。

ちなみに、よい講師であるために必要なスキルを以下にあげてみる。

・観察スキル
・カリキュラム(グループワークのシーケンス)設計スキル
・ストーリーテリングのスキル
・質問のスキル
・グループワークの結果のハンドリングスキル
・学ばせたいことに対する体系的な知識
・学ばせたいことに対する学び方の知識
・即興力
・ファシリテーションスキル
・コーチングスキル
・カウンセリングに関する知識
・自然な演技力
・目的、目標設定スキル
・チームのメンバーを成長させる意思
・チームの目的を見失わない自制心
・チームを最優先に考える自制心と意思
・チームを活かす行動を起こすための自律性
・総合的なコミュニケーションスキル
・などなど

これらが備わっているのはよい講師だと考えるが、よいリーダー、マネージャにもつながることは間違いない。
これらの習得には、意識の変化、考え方の変化、そして訓練が必要となる。
講師育成研修では、実際に意識の変化、考え方の変化を生み、行動の変化につながることを実現している。
行動の変化に対応する結果は、開始2週間で、すでに参加者が認識できる形で現れている。
もちろん、チームでの学びをベースとした訓練をたくさん重ね、定着を目指している。
知識を伝達しても、意識や考え方の変化は起こらない。
訓練を重ねなければ、行動の変化の定着にはつながらない。
私の担当する研修の実施中に、それを見ていた講師仲間が言ったひと言がとてもおもしろかった。

「当たり前のことを言っている、と思っているんだろうな。」

その研修の様子をご覧になっていた別のお客さんの反応を見ての感想だが、間違いなく、私の研修では「当たり前のこと」を伝えている。

本やネットを見れば書いてあるようなことだけである。
特別なことも、楽をするための技法も伝えてはいない。
時間もかかる。
話すだけなら30分もあれば終わることを、1日かけて伝える。

だが、参加者の、意識が変わり、行動が変わる。
そんな研修を一緒にやっていただける方がおられれば、ぜひご連絡をお願いしたい。

2週間~4週間程度の長期の研修を想定しているが、これまで意識が変えられなかったことは一度もない。

だが、私は集客が得意ではないし、講師のスキルを高めることにエネルギーを使いたい。

見ていた方や受けていただいた方には「必ず需要がある」と言われるが、今の日本にはない研修のため、言葉で説明して理解してもらうのは難しい。
だから、一緒に広め方を考えてくれるところからでもよい。

講師スキルを学びたい、でもよいし、意識の変わる研修を広めたい、でもよい。

一緒に歩いていただける方を増やしていきたい。

Takanori

2年目の油断

今年も1月末から講師育成研修に携わっているが、3月になると「2年目の油断研修」というのを行うことになる。
はじめて研修会場に赴く新人講師の方ではなく、2回目、3回目となる講師の方向けの研修である。

講師業をはじめて最初の研修がうまくいった方が、2年目、3年目に失敗する例が後を絶たない。
それを防ぐための意識付けの研修である。

1年目がうまく行ったのに、なぜ2年目以降で失敗してしまうのか。

多くの場合の原因は「手抜き」である。

1年目にうまく行った理由は、受講者の為に一生懸命に工夫し、受講者のことを観察して行動したことだろうが、2年目では「去年できたから大丈夫だろう」と「一生懸命」をなくしてしまうのだ。
そして、成功した経験に依存するようになる。
成功した経験に依存し、工夫をせずに同じことをする。

だが、研修は、例え同じクライアントが会社であったとしても毎年違う。
人数が違うこともあれば、会場が違うこともある。
もちろん参加者の個性は毎回違う。

その違う研修で、前回と同じことをやってうまくいくわけがないのだが、「一生懸命の工夫」が欠けることで経験に依存してしまい、参加者にマッチしない研修となり、失敗してしまう。

もう一つの重要な原因は、不安である。

不安なので、成功体験にすがろうとする。
結果として、成功したと認識している「前年と同じこと」をやろうとするのだが、参加者が違う以上マッチしない。
結果、研修が失敗してしまうのだ。
大丈夫だろうという油断、不安から来る成功体験への依存、これらはどちらも「今いる参加者」を見ての工夫がない状態である。

実際に、毎年同じように参加者を観察し、マッチするような研修を組み立てることはたいへんなことである。
だから、手を抜いたり、成功体験に依存したりしたい気持ちも分からないではない。

でも、成功体験への依存ではうまくいくわけがない、というのを納得してもらうのが「2年目の油断研修」である。
今年も、今いる参加者をしっかり見て、研修を組み立てる必要がありますよ、に納得してもらうことが目的である。
失敗した後に「今年は参加者のレベルが低くて」という言い訳をする方もいる。
あえて、講師とは呼ばない。
研修の失敗を参加者のせいにするのは講師ではないからだ。
「研修が失敗したら講師のせい。
研修が成功したら参加者の頑張りのおかげ。」
講師はこの気持ちを忘れてはいけない。

Takanori

レベル分けグループについて

技術系の新人研修などでは、よく「レベル別のグルーピング」が行われる。
開始時、もしくは適宜テストなどによりレベル分けをして、レベル毎にグルーピングをするのだ。

新人研修などでも、お客さんから「レベル別のグルーピングをしてほしい」という依頼を受けることがある。
理由をうかがうと「みんながやる気になるから。」というような理由であることが多い。

今回はこの「レベル別のグルーピング」について考えてみたい。
「レベル別のグルーピング」を行う理由は次のようなものだろう。

1つには、グループ内部での情報交換をしやすくなることがあげられる。
似たようなレベルのメンバーがいることで、教え合ったり、一緒に考えたりしやすくなることが期待できる。

また、よりレベルの高いグループになりたいために、モチベーションが高まることも理由の1つだろう。
特に上位レベルのグループにはそのような傾向が見られることが多い。

一般的には、これらがレベル別のグルーピングを行うメリットととらえられるだろう。
では、デメリットはどんなものがあるのだろうか。
・下位レベルのグループのモチベーションが上がらないことがある。

下位レベルのグループには「どうせやっても上には行けない」という気持ちになりがちである。
上位グループの進み方が早くなることも多く、上位に上がることはなかなかむずかしいために、特にレベルの低い人が「どうせだめなんだ」と思うことが多くなる。

・評価基準が「技術スキル」のみになりがち。

上位グループにいることが「善」となり、他の要素が評価されづらくなる。
技術スキル以外に何か問題があったとしても「技術スキルがあるからいいだろう」という判断を自他共にしがちになる。

・レベルが異なるグループ間に隙間ができることがある。

上位グループと下位グループの間だけでなく、それぞれのグループ内の上位と下位でも心理的な隙間ができることがある。
技術スキルのみに従った「階級」ができてしまう、とでも言えばよいだろうか。
チーム一丸となって、という形にはなりにくい。
これらに加えて、実は、最初にメリットのように書いた「グループ内の情報交換」、「モチベーションの向上」ももう少し分析する必要がある。
「グループ内の情報交換」だが、教えることにより自分のレベルが下がることは避けたい心理が当然のように働く。
教えているようだけど親身になっては教えていない、もしくは、教えない、という状態になることがある。
それぞれのグループの中でも上位レベルのメンバーだけが話し合っている、というシーンができたりする。
結果として、チームの成果、という発想が芽生えないために、せっかくの学び合いのチャンスをなくしてしまうことになる。

「モチベーションの向上」は見られるのだが、それは「下のレベルに落ちたくない」「上のレベルに行かないと不利だ」という心理がベースのモチベーションになりがちである。
これは、例えば、頭に銃を突きつけられて「やらないと撃つぞ」と言われているのと同じ種類の外的モチベーションになる。
「やりたい」「できるようになりたい」という内的モチベーションではないために、レベル別のグループ、というモチベーションの源がなくなった段階でモチベーションもなくなってしまう。
そのため、研修後のモチベーションの継続が難しくなる可能性が高い。
新人研修で目指す成果のうち、「チームで働くスキル」の習得というのは大きなウェイトを占めると私は考えている。

チームで働くには、メンバーのよいところを認め合う、という要素が欠かせないのだが、レベル分けをしたグループによる研修では評価基準が技術スキルに偏りやすく、技術スキルは高くないがリーダーシップが高い、というような評価がなされにくくなる。
ムードメーカーと呼ばれる人は基本となるコミュニケーションスキルが高いことが多いが、このようなスキルも評価対象になりにくい。
実際のところ、技術スキルは業務で触れていく中で自然に伸びていくが、チームで働く意識を現場で身につけ訓練することはなかなか難しい。
だからこそ、新人研修ではチームで働くスキルを身につけさせる必要があると考えている。
これらの理由から、私が新人研修の講師をするときには「レベル別のグルーピング」は行っていない。
レベル別のグルーピングを行うことで、新人研修で身につけてもらうべきチームで働くスキルを身につけてもらうことや、研修終了後のモチベーションにつなげることが難しくなるからだ。
レベル別のグルーピング以外に、モチベーションを上げて技術スキルを高め、加えてチームで働くスキルを身につけてもらう方法を使えばよい。

その方法とは、簡単にいえば、個の成果からチームの成果に評価基準を切り替えることである。

具体的な進め方については、また後ほど書いてみようと思う。

Takanori

たのしい、と、うれしい

これまで「研修では学ぶことが楽しくなければならない」という表現を何度も使ってきた。

このこと自体は問題はないと思う。

辛いことを我慢しながらやっていても、ろくな学びはできないのは考えなくても分かるだろう。

現実には、勉強はつらいもの、練習は耐えるもの、みたいな考え方がまだ世の中にはたくさんあるが、次第に淘汰されていくに違いない。
昨年から「勉強会(仮称)」というのを開催している。

その中で、学ぶには「楽しい」という感情が大切、ということを伝えるためにいくつかのグループワークを行った。
私は「楽しい」というキーワードが出てくればよいと考えていたのだが、「うれしい」に対する考察も行われた。

その結果「楽しい」は過程が「楽しい」であり、「うれしい」は結果的にできたら「うれしい」という分析がなされた。

それまでは私の中で「楽しい」でひとくくりにしていたのだが、勉強会のグループワークの結果によって分かりやすく整理された。
私にとってとても大きな成果であった。
講師として研修を進めていると、それこそ脂汗を流しながら苦労して課題に取り組むシーンがよく見られるようになる。
その課程は「楽しい」とはほど遠い。
だが、できたらきっとすばらしく「うれしい」だろう。

なぜそう思うのかといえば「できるようになりたいから」だ。
だから必死に苦労しながら取り組むのだ。
つまり、研修はこうやって作ればよい。

・楽しいことをする。
・楽しいことの中に学びを含める。
・楽しいけどできない経験をさせる。
・できないことをできるようになりたいと思わせる。
・できるようになるために努力させる。
・努力の結果できたことを認識させる。
・できないことを認識させ、できるようになりたいと思わせる。
以下は繰り返しである。

途中の過程にも「楽しい」を入れれば、「楽しい」と「うれしい」の連続だ。
「うれしい」がより強くなる「悔しい」も混じれば、さらによい。
さらに具体的に言えば、

・学んでもらいたいことを分析して
・楽しめる課題にし、
・それを楽しめるように導入して実施し、
・成長を実感させて、
・課題を自分達で見つけられる

ようにしていけばよい。
勉強会(仮称)では、この流れの中の「分析」と「楽しめるような導入」というのが今の課題になっている。
「分析」はロジカルシンキングがベースではあるが、アイデアも大切である。
「楽しめるような導入」というのは、場を把握した上で、感情に働きかけるようなスピーチの力が必要になる。
これまで何気なくやっていたことを、このように明確に分析できるようになったことは、私にとっての勉強会(仮称)の成果である。

「楽しい」と「うれしい」はその象徴的なことなのだ。

さて、その勉強会(仮称)であるが、そろそろまともな名前をつけてあげたい。
次の勉強会(仮称)で提案してみようかな。

Takanori

「努力は夢中に勝てない」

ある方の Facebook のタイムラインに、表題の言葉が書かれた額の画像が流れていた。

「努力は夢中に勝てない」
元陸上選手の為末さんの言葉だそうだ。

この言葉はすごい。

人を育てる我々のような人間が創りださなければならない環境を、ひと言で表してしまっている。
私はよく「講師にできるのは環境を創ることだけ」という言い方をしている。

受講者の代わりには学べないし、丁寧に説明すれば必ず理解してもらえるわけでもない。
学んでもらうため、理解してもらうためには、受講者自身が考えて理解しなければならずそれ以外の方法はない。
より多くを理解してもらうために必要なのは「学びたくなる環境」であり、それが「夢中になれる環境」であれば、さらによい。
ひたすら課題をこなすことを求めているような学びの場では、課題をこなすことが目的となっていく。
努力を強いても、人は成長するだろう。
みんなが努力もしないでそっぽを向いているよりはよっぽどましだ。
だが、強いられた努力が楽しくなければ、研修が終わることで安心し、研修が終わってからの継続は望めないし、研修中の自主的な学びにもつながりにくい。
夢中になれる環境かどうかを見分けるのは簡単である。
受講者が「課題をやりたい」と思うか「課題をやらなければならない」と思うか聞いてみればいい。
「やりたい」と言えば楽しいのだろうし、「やらなければならならない」と言うのなら、努力を強いているのだろう。
夢中になれる研修では、研修を終わりたくない、もっと続けたい、という声が出てくる。
努力を強いられる研修では、やっと終わった、という感想になる。
「やりたい」と思うためには、その課題に対して、取り組むモチベーションがなければならない。
課題に取り組むことが「自分の役に立つ」というのももちろんモチベーションになるが、「いやだけど役に立つから」というのでは「夢中」にはならない。
役に立つ、ではなくて、楽しい、嬉しい、などの感情が元になったモチベーションが「夢中」につながる。
「夢中」であれば学びが自主的になり、幅も広がり、深さも深くなる。
そのような学びは、研修が終わっても続き、結果的に定着する可能性も高くなる。
研修において「定着」は大きなテーマである、というよりも、定着しない研修には意味がない、ぐらいに大切である。
定着のためには「夢中」になれる学びの場が一つの答なのだろう。
いつまでも学び続けたい、という気持ちで終われる研修のためには、夢中になれるモチベーションが大切だ。
夢中になれるモチベーションのためには、楽しい、嬉しい、という気持ちが欠かせない。
人は遊びの時には夢中になる。
趣味に没頭してるときはみんな夢中だろう。

だから、学びが遊びになればいい。

私はそう考える。

「努力は夢中に勝てない」のだから。

Takanori

2016年度の新人研修を終えて

2016年度の新人研修の報告書を書き上げ、まだ若干の資料整理や提出物などが残ってはいるが、長かった新人研修が終了した。

今年も、講師育成から新人研修に携わることになり、1月中頃から6月初めまで、という長期戦であった。

講師育成では、講師を育てる講師の育成の役割を持つことになり、「先生の先生の先生」という自分で言っていてもこんがらがりそうな仕事をすることになった。

研修を実施中は受講者への影響を及ぼさないようにするため、ブログなどへの投稿は基本的に行っていないので、久しぶりの投稿になるが、今年の新人研修について振り返ってみたい。
●講師育成について。

講師育成というのは、私が行っている研修の中でももっとも難しいものの一つである。
対象が社会人経験を積んで自分の考えをしっかり持っている方であること、伝えるべき内容が複雑で多いこと、結果を出すまでの期間が限られていること、などが難しい理由であるが、これらを乗り越えるためには最新の注意と、錬ったカリキュラムが欠かせない。

昨年、一昨年と講師育成に取り組む中で、私のスキルを棚卸しし、人に伝えられる形に整理して、学べる形にしてきたことを、なんとか、直接講師育成に携わる方に伝えようとしたのだが、結果から言うと難しかった。

一部は講師の講師に伝えられたとは思うのだが、新人研修の講師になる講師候補の方に十分なことができたか、というとやはり足りなかったと言わざるを得ない。

理由はいくつかある。

一つは、圧倒的に時間が足りなかったことである。

先に「細心の注意」というように書いたのだが、その内容が実際にはそう簡単に伝えられるようなことではなかった。
観察のスキル、心理的な反応に対する知識と経験、メッセージを伝える方法など、それぞれがとても複雑なことだが、細心の注意、というのはそれらの複雑なものが絡み合っているものだからだ。

「細心の注意」を分解して1つ1つ訓練しながら学ぶには、やはり時間が圧倒的に足りなかった。

二つめは、私が昨年までに実施したカリキュラムの意図をきちんと伝えられなかったことだ。

「錬ったカリキュラム」についての話になるが、コメントの質やインストラクションの方法など、私が実施した内容をそのまま実施することは難しいことと、講師の講師の方がやりたいこと、やれること、などがあり、私が実施したカリキュラムの流れの実施ではなく、講師候補の方に本質的な部分を伝え切れていなかったように感じる。

3分間スピーチのような簡単なカリキュラムでさえ、テーマの設定の方法、コメントについて注意すべきことなどを整理して伝え、納得してもらうことはできなかった。
結論として、講師育成に関しては、私が直接担当させてもらうならば2ヶ月から2ヶ月半ほどあれば、最低限必要なことは伝えられるだろうと思う。
最低限の必要なこととは、テキストを読み解いて意図を考えカリキュラムを組み立てる力、講師として前に立って話す力、「受講者のために」という意識、などである。

だが、講師育成の講師を2週間で育てることは難しい。
必要な事を伝えるためのスキルを整理し、それを伝える手段を考えたときに、あまりにも短いのだ。

今年の講師育成では直前でそのような指示をもらったため、とりあえずはじめてはみたものの、やはり足りない時間には勝てなかった。
●新人研修

今年は複数社が混在する会場での実施であった。
これまで、新人研修では一社の新入社員だけが集まっている環境でしか研修を行っておらず、複数社混在の環境での研修は初めての経験であった。

会社毎に新入社員に傾向があり、これまでよりは幅広い対象だったこと、会社のイベントで一部の受講者が1日抜けることがあるなど、多少勝手が違った部分はあったが、結果的に昨年までの研修と同じような雰囲気になってくれた。
複数の会社であるという要素も、それなりにうまく盛り込めたと思う。

会社の壁がどれぐらいあるものか心配していたのだが、研修の最初から意識して壁をなくすように心がけた結果、それぞれの会社の個性がよい方向に生きたまま、会社の壁を越えた交流が生まれ、受講者が仲良くなってくれ、グループワークを通してよい学びの場となった。

一社ではないので、企業の担当者と頻繁に情報交換を行い方針を決める、ということはできなかったが、伝えたいことは受講者の方々に受け取ってもらえたようである。

全体としては、ほぼ想定していた負荷をかけながら伝えたい内容を盛り込むことができたのではないかと思う。

もちろん、課題もいくつかあり、振り返ると「もう少しこうしていたら」という反省がいくつか思い浮かぶ。
中には、私の判断ミスや、手が回らなかったことが理由であるものもあり、それらは素直に反省しなければならない。

特に、進み方の遅い人に対するアプローチの方法や、最初に乗り遅れた感じのある人へのアプローチには、反省点が多い。
進み方が遅いことには、いろんな理由があり、講師を含む周りへの質問ができるかどうか、するかどうかという個性も関係してくる。
原因や個性、考え方を見極めて適切な声をかけつつ、受講者自らの行動を妨げない、というのはなかなかむずかしい。

これらの対応の精度をあげることは、これからも課題になっていくだろう。

とはいえ、半年弱の新人研修関係のプロジェクトを終了し、とりあえずは一安心である。
少し休みを取りつつ、次の動きを考えていきたい。

Takanori

私にしかできない?

講師育成研修でよく言うセリフの1つに「私の真似をしないでください。」というのがある。
私が実施しているグループワークを体験すると、自分でも試したくなるようで、グループワークをハンドリングする練習をせずに研修の現場で実施する方が出てくる。
それは危険だよ、と戒めるためである。

私ができることを見て「長谷川さんは長い間やっていたからできるんだ」と言われることもある。

講師仲間から「別格だ」と言っていただけることもある。
こう言うと、私は長い時間をかけてとんでもないことができるようになっていると思われるかもしれないが、実は研修の仕事を始めた最初からこのようなことをしている。
もちろん、最初よりは今の方が上手にはなっているが、決して研修の仕事を長年行わなければできないことをしているわけではない。

私が最初からある程度認められるようなことができた原因は確かにある。

ラグビースクールにおけるコーチングに関する知識があったこと。
技術的なレベルがそれなりのものであったこと。
話すスキルがある程度はあったこと。

これらがその原因である。

だが、技術レベルは普通に開発の仕事をしている人が持っているレベルと大差はない。
話すスキルも、クライアントと会話しつつ要件定義などができるようであれば問題がないレベルである。
コーチングに関する知識も、決して理解していると言えるレベルではなく、あくまでも「知っている」程度であった。

それらを元に、毎日必死で考えて準備をし、実施して観察をし、結果に対して自分でのフィードバックを続けたことでできるようになったのだ。
そしてその中で、コーチングやグループワークに対する理解も進んだ。
こう考えていくと、きちんと学びさえすれば誰でもできるようになるはずのことである。
私ができるようになった理由が実はもう一つある。

それは「逃げるチャンスがなかった」ことである。
ろくに扱えないコーチングとグループワークにしか頼れなかったぐらい追い詰められており、それから逃げる方法がなかったのだ。
言い換えればやり続けることを強制されていたのだ。

実際の原因は「逃げられなかった」だが、これは「チャレンジし続けた」とも言える。
だから、私と同じことができるようになるためには、コーチングやグループワークを学び、伝えるべき知識を持ち、話すスキルを高めた上で、真摯なチャレンジを続ければよい、ということになる。

決して私にしかできないことではないし、長い時間をかけなければできないことでもない。
コーチングとグループワークの力を理解した後は、それをより磨くために時間を使ってきた。
理論を学び直し、実践的な訓練をし、よりよくできるように工夫をし続けてきた。
その中で、自分の経験や知識を体系化し、人に伝えられるようになってきた。
私のしていることを理解できない人は「長谷川だから」で片付けようとする。

それは可能性を捨てることで、とてももったいないことだな、と思いながら聞いている。
理解しようとしない人に伝えることは難しい。

私がしているのと同じようなことをするのは、たいへんかもしれないが、難しいことではない。
私が行っていることを表現するための方法論はすでにある。

それを他の多くの人に伝えていき、訓練の場を作っていきたい。
それができていないから、タイトルのような言葉を聞くことになってしまう。
「長谷川さんだからできる」

この言葉は、私の力不足を認識させる言葉でしかない。

Takanori

やりたいこと

私は教育に携わっている。
主として研修講師として活動し、ブログや書籍などによる情報発信、さまざまな機会を通じて人材育成に努め、また、そのための人材の育成に取り組んでいる。

そんな私の「やりたいこと」は、最終的に「人を育てる文化を日本の企業や学校や家庭に根付かせること」である。
そのためには、ただ生きるために言われたとおりの形で講師をするのではなく、自分の信じる形での研修を行い、成果を出すと共にその良さを知ってもらうことが重要である。

私の信じる形の研修や教育の形とは、自主性、考える力、コミュニケーションをベースとして自ら学ぶ形である。
これまで多くのシーンでその効果を見せようと努力してきた会社がある。
これまでもいろいろお世話になったし、一時期は「教えないで教える」を目標として掲げてくれていたこともあったので、なんとか私の知識や経験を役立ててもらおうと思って全力で取り組んできたつもりである。

だが、残念なことに、私のやりたいことや目的は伝わっていなかったようである。
おそらく効果は伝わっているのだが、ただ単に「長谷川だからできたこと」でしかなく、その理由やベースとなる考え方は伝わっていなかったのだろう。
私に旧来の研修の形を求めることは、私にとっても、求める方にとっても意味がない。
私にとっては、そのようなことを求められることは、足踏みにつながり、先のことを考えると時間がもったいないと考えざるを得ない。

このようなことを考えると、仕事がなくなる心配をしたくなるところであるが、実際には現時点でもいくつかオファーをいただいており、それらを断りつつ仁義を通してきた。
また、私の「やりたいこと」に直接の興味を持ってくれている会社も多い。
カリキュラムもお仕着せではなく、任せてくれると言ってくれるところもある。
講師育成という特殊な研修においても成果を上げられるスキルを持っていることもプラスに作用することだろう。

だから、幸いなことに、少なくとも新人研修の期間においては仕事を失う心配はあまりない。
旧来の「丁寧に教える教育」は近いうちに崩壊する。
参加型であり、チームによる学習であり、全て教えるのではなく教えないで考えさせる教育に必ずなる。

考えさせる教育を行うためにはそのような教育を行える人を育てなければならないが、どうしても時間はかかる。
グループワークを扱うためにも訓練が必要であるし、課題を考えるためにも訓練が必要である。
だらだら話さないようにするための訓練も必要であるし、観察する力、気付く力も身につけなければならない。
心理学についての素養も欲しいし、できればカウンセリングレベルの傾聴力も欲しいところである。
そして、教えるべき内容に関しての深いレベルの知識も当然必要となる。

時間はかかるがそれらの育成を行えば、教育の流れの転換が顕在化したときには非常な強みを発揮できるはずだ。
だが、旧来の教育の形にこだわっていたら、顕在化のタイミングでおいていかれるしかなくなる。
研修の品質を、企業の担当者が知っている研修を行ったかどうかで計っているようであっては、先の発展は見込めない。
担当者がそのような観点で満足するということは、教育に対する新しい価値を提供できていない、ということでしかない。

受講者の「成長できた」という気持ちが強い研修は良い研修である。
そしてそれは受講者の満足度で表されるものである。
企業の担当者が知っていることをなぞれたかどうかで計られるものではない。
今年は、私自身、大きな転換を図る年になるかもしれない。

自ら参加者を集め、会場の手配をし、協力者を集めて、理想の教育を形にしていくタイミングなのかもしれない。
IT系の新人研修をターゲットとすれば、現時点で想定できるリソースでは100人ほどが限界だろうが、新人研修を有効に活かすための受け入れ側の研修をセットで実施することも可能だろう。

しっかり考え、いろいろな方の力をお借りしながらこれから先を決めて行きたい。

Takanori

課題発見、解決

課題の発見、解決、という研修を行うことがある。
そもそも「課題の発見、解決」そのものが目的であることもあるし、コーチング研修の中に含めることもある。
管理職研修の中にも含まれるし、新人研修においても求められることもある。

つまり、課題発見、またその解決は、全てにおいて大切なことであり、それができずに困っている人が多いということだ。
なぜ困るのか、といえば、簡単に言えば「すぐ目に見える問題だけを取り扱おうとするから」ではないかと考えている。

実際には「すぐ目に見える問題」というのは本当の原因ではなく、本当の原因からいろいろあって表面に表れてきた「現象」であることがほとんどなのだ。
例えば、クライアントから「ちゃんと思った通りに動かない」などといったクレームが来たとする。
クレームが来たから、製品の不具合かと思って調べても完全に動作する。
よくよく聞いたら、購入時の担当者が言った言葉が間違っていて、クライアントはその言葉通りの動作をしない、というクレームをあげていた、なんてことが普通にある。
この場合、本当の問題は、担当者が製品を正確に理解していなかったことにあり、解決策は担当者への正しい教育ということになる。

これなどはまだ簡単なほうである。

こんな例もある。

「最近入ってきた新人がなかなか成長しない」という問題を抱えているIT系の会社の上司がいた。
グループワークで意見交換をしながら、質問によりさまざまなことを考え、深めていくと次のような結論が出た。

「新人のレベルに対する、受け入れ側の思い込みが本当の問題である。」

その部署では数年にわたって、学生時代に専門教育を受けてきた、または趣味によりプログラムを書いてきたことにより、技術的には経験者といってもよいレベルの新人が配属されてきた。
そのようなことが続く中で、その部署では「新人」のレベル感が醸成されていった。
ある年に、新人研修で初めてプログラミングを学んだ新人が配属された。
すでに醸成されていたレベル感から比べると、当然ではあるがその新人のレベルは低いことになる。

このような経緯で、配属された新人がなかなか使えるようにならない、という問題意識になってしまったのだ。

実際に話を聞けば、配属された新人は、自ら努力をし、なんの問題もない新入社員である。
それどころか、自発的な動きもできる優秀な人材であった。

だが、思い込みによりそれが問題になってしまったのだ。
他にも「部下から報告がない」という問題を分析していったら、報告を受け取れていなかった自分が問題だった、というようなことは、もう当たり前と言えるほど普通にあることである。
問題分析の際に「自分に問題があるかも」と思うと、意識的、無意識的にそれらの問題から目を背けてしまうため、いつまでたっても真の問題にたどり着けない。
同じようなことはどこにでもある。
クレームをもらったら、思い込みや自己保身を排除した上で、何が原因なのか徹底的に考え分析をしなければ、本当の問題にはたどり着けない。
本当の問題にたどり着けないまま対処をしようとしたら、それは「臭いものには蓋」的な対処になってしまい、本当の問題をより見えにくくしてしまうだけである。

一度見えなくなってしまった問題はなくなることはなく、他の形で現象となって出てくる。
課題発見、解決といえばロジカルシンキングなどがあげられることが多いが、実際には、思い込みや自己保身の排除、問題を発見しようとする意識付けのほうが効果を上げられることが多いように感じている。
ロジカルシンキング分野の分析方法はそれらがなければ、ただの形にしかならない。
問題解決は問題が適切に見つかれば考えられる。

だから「課題発見」を以下に効果的に学んでもらえるかというのは、これからの私のテーマの1つである。