Archive for 長谷川 貴則

Takanori

育てる人を育てる

先日の、講師育成への参加がなくなったことを契機として次のステップをいろいろ考えているのだが、やはり私がたずさわりたいのは「育てる人を育てる」ことである。

講師はまさに「人を育てる人」であるし、ラグビースクールのコーチもまた「育てる人」でなければならない。
学校の教師もそうだし、家庭の親もそうだ。

それらの「育てること」が必要な場において「育てられる人」を増やしていくことが、多くの人の幸せにつながるだろうと考えている。
私だけがどれほど頑張ったとしても、直接触れられる人はそれほど多くはないが、育てる人を育てれば、間接的に多くの人に触れることになる。

そこで、まずは、昔からやりたかったことの一つである「社内講師の育成」を実現していきたい。

社内講師育成のおすすめ(PDF)」

(興味がありそうな方にお渡しいただければ幸いです。)

研修の内製化、社内講師の育成の需要は間違いなくあるが、1ヶ月以上かけて講師スキルを定着させようというような講師育成研修はほぼ存在しない。
今年までたずさわっていた講師育成研修も、仕事をいただいていた研修会社のカリキュラムを遂行することが主目的であるので、本来必要である「カリキュラムの作成スキルの習得」のような内容は含めていなかった。

それらを含め、本気で「研修を作り、実施する知識とスキルの習得」を目指し、自立して研修を企画、実施できるようになる研修を行いたい。
資料の中にも書いたが、社内講師ができれば多くのメリットがある。
逆に、社内講師ができてしまうことは、ノウハウの流出、顧客の自立など普通に考えればデメリットだらけである。

だが私の目的は「人を育てる文化の普及」なので、自立して人を育てられるようになってくれればいいのである。
「もう自分達でできるから大丈夫です」と言ってもらえたら、それが一番なのだ。

ノウハウの流出も、顧客の自立も、目的にかなっているのだからデメリットにならない。
実現までは、育てるスキルに関する啓蒙、周知、説明、受注、会場確保、カリキュラムの作成、実施など多くの道のりがあるが、残念ながら研修会社にとってのデメリットが多い研修を、普通の研修会社と一緒に実施することは難しいだろう。

この研修を行うためにはビジョンの共有が欠かせない。
「人の力を引き出すことで、日本の教育を変えていく」というビジョンである。
ぜひ、そのようなビジョンを共有できる仲間と、顧客の自立が目的である、という研修を創りあげていきたい。
そのような研修を受講したい方、一緒に研修を創りあげてくれる方を大募集である。
Takanori

講師育成で目指したもの

先のブログで、4年続いてきた講師育成が途切れることになった、という記事を書いた。
私が取り組んできた講師育成研修についてこれまで何度か書いてきているが、あらためて簡単にまとめてみたい。
●講師育成で目指すもの
私が講師育成研修で目指すのは、ただ研修を上手に終わらせることができる講師を育てることではなく、受講者の成長を真摯に願いそのための研修を行える本当の講師の育成である。
だから、画一的な説明の仕方を教えたりするのではなく、人を育てる講師としてのモチベーションや意識を持ってもらい、受講者に合わせて必要な対応がとれるように、テキストの読み取りや説明の組み立て、話をするスキルなどの基礎スキルの習得を主たる目的としている。
また、教えこむのではなく、自主的に学んでもらうためのモチベーションをどのように引き出すか、自主性をどのように引き出すか、ということについても学んでもらうのも重要な要素である。
講師スキルを、ただ「上手に説明する」スキルととらえるのではなく、チームをマネジメントし、チームとメンバーを成長させる幅広いヒューマンスキルとしてとらえることで、多くの気付きと学びとスキルアップをしてもらう。
そして、本質的な人の成長に関与し、促すことができるようになってもらう。
これが、講師育成で目指すことであり、サーバントリーダーのあり方そのものである。
●目指す成果
すべての人が1、2ヶ月の学習で完璧な講師になれるものではない。
話す力、聴く力、質問する力、質問に対応する力、対象を分析する力などなど講師として必要な、もしくは望まれるスキルは多岐にわたる。
これらを1、2ヶ月という期間ですべて「できるようになる」のはむずかしい。
だが、全く成長しない人、変化しない人もほとんどいない。
講師としてのスキルが十分につかなくても、今まで持っていた思い込みに気付いたり、人やチームの力を信じられるようになったり、他の人のために働きたいと考えるようになったりする。
人が変わったんじゃないか、と思われるような変化を見せてくれる人もいる。
人は何かを言われて変わることはない。
人が変わるには、自らの気付きが必要だ。
その気付きを得てもらい、より良くなりたいと思うようになることが、本当の目指す成果である。
それにより、人は変わり、行動も変わっていく。
●知識ではなくスキル
大切なのは100個の「知っているけどできない」ではなく一つの「できる」である。
「知っているけどできない」では次につながらないが、一つの「できる」は次の99の「できる」につながっていく。
「知っている」のためなら、本を読めばいい。
だが「できる」のためには、試行錯誤と訓練が必要である。
人の成長速度はみんな違う。
できることも、できないこともみんな違う。
すべての人が研修中に同じゴールにたどり着く、というのは、よっぽど低いゴールでなければ不可能である。
時間いっぱい、それぞれの人が持つ伸びしろを伸ばそうと思えば、達成するゴールは違わざるを得ない。
それぞれが自分の「できる」を作り、チームとして助け合いながら1つの「できる」を2つ、3つと増やしていく試行錯誤と訓練を続けられる環境を作ることが、サーバントリーダーとしての講師の役割である。
●成長へのモチベーション・渇望
研修の中での成長も大切だが、もっと大切なのは研修後に続けて成長できるかどうか、である。
研修において、終了後にも続くモチベーションを残さなければ、研修後の成長は望めない。
「やっと終わった」ではダメなのだ。
「もっと続けたい、学びたい」という気持ちのまま終われるような研修でなければならず、それは課題を全部終わらせておしまい、という研修からは生まれづらい。
まだ上がある、先がある、というビジョンに加え、それを目指したいという気持ちが残せるかどうかは大切なことである。
●教える、からの脱却
すべての講師がすべての最新の技術的な内容に精通することは不可能である。
得意分野があったとしてもすぐに古くなる世界であるし、それは技術の世界に留まらない。
学んでもらいたいことは常に変わり続ける。
そんな環境にあって、知識を「伝えること」は講師の役割ではなく、最新の書籍、ネット上の最新の情報の役割である。
講師の役割は、教えてもらうのを待つだけでなく、自ら調べ、考え、試行錯誤し、検証できる人を育てることである。
すべての分野にあるだろう「基本的なこと」は効率よく説明し理解させればよいが、それだけではなく、講師は「教える人」ではなく「育つのを支援する人」であり「道を示す人」でありたい。
○チーム活動の支援
これはこれまでの講師育成の中では制約があり十分にはできなかったことであるが、現場の講師として必要なスキルである。
多くの研修においてグループワーク、ワークショップが取り入れられている。
だが、参加してみても「これでは気付きを生めないな」と思われるグループワークも多い、というか、なかなか「これは!」というワークショップにはお目にかかれない。
ワークショップは「すればいい」というものではない。
ワークショップを効果的に実施するには、目的設定、分析、課題設定、インストラクション、観察、調整、クロージングという段階を踏む必要があるが、適切でない課題のやりっぱなしのワークショップも多い。
また、議論を促すファシリテーションの力もチーム活動の支援に必要である。
これらのワークショップを実施する力、ファシリテーターとしての力も行使として求められるものである。

これらが、私が行ってきた講師育成で目指していること、そして、目指したいことである。
読んでいただいても分かると思うが、講師育成は講師そのものの育成としてももちろん機能するのだが、そのままマネージャの育成にもなっている。
これは、これまでの経験から自信を持って言える。
このような学び、成長を促すスキルを活かし、共に活動できる仲間を求めたい。
私自身の希望は、上記のようなことがあたりまえになるように「人を育てる文化を普及させること」であるが、このような研修と実践を体系的に行っているところはそれほどない。
講師育成としてやっているところもないし、管理職研修として見ても、新人研修の講師として活動することで実践訓練が行えるような場が用意されているようなこともない。
だから、今、これを行えば、間違いなくオンリーワンになれる。
ビジネスとしても魅力があるのではないかと思えるが、講師としてはともかく、プロデューサーは私の器ではないことは自認している。
1~2ヶ月みっちり集合研修。
 終了後、講師として1~2ヶ月程度の新人研修の現場で活動。
 新人研修後は、希望者には上記のような内容を含む管理職研修を実施できるような、さらなる講師訓練の場を設ける。
 設定した講師基準をクリアした方には、それらの管理職研修をお願いする。
 講師として活動しなくても、マネージメントスキルは確実に向上する。
こんなことが実現できたらよいなと考えている。
このような研修を受けた講師から学ぶ側にもメリットはある。
多くの研修、特にIT研修では、普通の技術者が教え方を学ばずに現場に出ていることが多い。
その結果、残念ながら講師がいなくても学べるレベルの技術的な成長に留まっていたりする。
知っている人が育てられる人ではないのだ。
だが、教え方、育て方を学んだ講師であれば、チームで働くスキル、コミュニケーションスキル、モチベーションなど技術以外の分野での成長を期待することもできるだろう。
念のため、私が行っている教育は、決して特別なものではない、ということをお伝えしておきたい。
こういうのも変だが、私の行っていることに、目新しいことはなにもない。
NHKで紹介された「○○白熱教室」、茂木健一郎氏の「育ての極意」、上越教育大学西川教授の「学び合い」、コーチング、ロジカルシンキング、アウトプット重視、コミュニケーション、モチベーションドリブン、インプロビゼーション、ほめて育てるなどなど、いろいろなところで「こうあるべき」「効果がある」とされていることをコーチングの考え方を軸に体系化し、ていねいに効果的と思われる方法で実施しているだけである。
決して、トリッキーなことをしているわけではなく、スタンダードであるとさえ思っている。
もし、私の行っていることが、斬新に見えるのであれば、多くの現場で行われている「教えれば分かる」式の昔ながらの古い学びの形しかご存じないだけであろう。
私の強みは、細分化して発展している育てる技法を、横断的に見て体系化していることだとは思う。
しかし、これは遠くない将来、スタンダードになるはずである。
いわば、ネクストスタンダード、である。
ネクストスタンダードをスタンダードにすることが、私の目標である。
繰り返すが、一緒に歩んでくれる仲間を求めたい。
私のスキルと知識を使い、日本を変えるプロデュース、コーディネートをしてくれる仲間がいてくれたらうれしい。
Takanori

挑戦

今年まで4年にわたり(実際にはその前もあるので5回)実施してきた講師育成であるが、来年は自社主導でやるので、という連絡をいただき、担当しないことになった。
研修の講師という仕事は特殊な仕事で、教える内容から教え方まで、担当する講師に依存することが多い。
違う言い方をすると、たとえ同じカリキュラムであっても、担当講師が変われば、研修の内容が変わってしまう、ということである。
だから、講師の側の都合で、評価をいただいている研修を断る、というのは迷惑をかける行為になり得る。
そのため、継続の依頼を断らないのは、講師側からの「継続の義務」だと考えている。
新人研修でも、基本的にリピートをいただけることが多いのだが、社内政治の問題(グループ内の研修会社の利用、同じ研修会社を3年以上続けないというルール)、採用の問題(新規採用無し)などにより途切れることがある。
これまでも、それらの「途切れた時」が、新しいことを取り入れたり、チャレンジしたりするチャンスになってきた。
講師育成では、私の作ったコンテンツ、カリキュラムに基づき運用を実施し、導入、意識の変革、誘導、訓練とそれらに立ち向かうモチベーションの向上と維持、気付きを生むためのワークとその実施、つどつどのコメントの精度と全体に対する観察などなど、私の持てる講師スキルとノウハウを総動員して実施してきた。
その結果、研修を受けた人、研修を受けた人の所属組織からもそれなりの評価をいただいてきたと思っているし、外部から管理職研修として講師育成を受けさせたい、という要望が出てきていたという噂も聞いた。
もともと、講師スキルの多くは管理職スキルとかぶるので、それを実践的に訓練できる研修は、間違いなく、管理職研修としても有効であろう。
今回、講師育成から外れるというのは、それらを「社内のコンテンツにしたいから」という理由で私の関与をなくして研修会社独自で行う、ということであり、私の「継続の義務」がなくなったことになる。
つまり、コンテンツ、ノウハウ、伝えるべき内容、方法論のすべては私の手元にあり、私自身はどこでもそれを実施できる自由を得たのだ。
実施のための方法論も確立できているので、繰り返して実施することもできるし、今年の研修以降に新しく学んだ要素も加え、より精度の高い学びも実現できるだろう。
継続は鍛錬の時だ。
これまでの4年の講師育成の中でも多くのことを学んだ。
そして、変化はチャレンジの時である。
これまでの講師育成が途切れるこの機会を活かして、次のステップを考えたい。
Takanori

日本を変える力

先日、私の中でも1つマイルストーンとなるだろうと思えるミーティングに参加した。

参加者は、大手文具メーカーの役員を務められた中嶋さん、元日本代表のラグビー選手の小野澤さん、ラグビーマガジンの記者の成見さん、そして勝手に盟友とさせていただいている磯部さんである。

このようなミーティングが実現したきっかけは、10年前に出版した本である。「教えないで教える」というタイトルの、私がその時点で学んでいたこと、気付いたことを書いた本であるが、既に絶版になっている。だが、孫がラグビーを嫌いになってしまったという事件をきっかけに、中嶋さんがその本をブックオフにて入手し、書いてある内容に共感して行動を起こしてくださった。

私に直接電話をいただき、その場でミーティングを開くことが決まり、中嶋さんのコーディネートによりこのようなミーティングが実現されたのだ。

正直に言うと、私の本に書いてあることは、私が見つけたことではない。
ラグビースクールの先輩から学んだこと、書籍から学んだ事、受講生や子供に教えてもらったことがほとんどなのだ。

本はあまり売れなかった。それを「時期が早すぎた」と言ってくださる方もいるのだが、私が本を書く10年も20年も前から、コーチングの考え方は世の中に存在していた。

私はそれを、自分のためにまとめ、できれば多くの方に知って欲しいと思い本を書いた。
一部では良かったと言ってもらえたが、残念ながら全体に影響を与えるようなものではなかった。

近年、学校でもアクティブ・ラーニングが導入されるようになったり、コーチングをベースに置いた参加型の企業研修が評価されるようになってきている。
NHKでは「奇跡のレッスン」「白熱教室」というコーチングに関する要素が多く含まれている番組がシリーズ化されるなど、正しい指導に対する意識が高くなってきているのは感じられる。

確かに「時代の波」は来ているのだろう。

実はビジネスの世界でも「コーチングが重要」とか「人を育てなければならない」というのは何年も前から言われている。
それに関する研修も数多く実施されている。

だから「人の成長を求める」という「時代の波」はずっと昔から来ているのではないかと思う。

だが、実際にはコーチングが出来る上司、人を育てられる組織はそれほど多くなっていない。

人を成長させるための理論、理屈は既にある。実現するための方法論も数多くあり、紹介もされている。

にもかかわらず、実際にできているところ、できている人はそれほど多くない。

私は、それを学び、訓練する機会がないからだと考えている。

事例紹介は多いが、ちゃんと学べる機会は多くはないし、実際に訓練できる場、フィードバックを継続的に受けられる場はさらに少ない。
学べるはずの研修も、知識の伝達で終わっているために行動の変容にはつながらない。

ミーティングをきっかけとして、学ぶ機会を作り、継続的に学べるような仕組みを作っていきたい。

それを実現する道筋が少し見えたのが、私にとってのミーティングの意義であり、今まで講師育成と勉強会、グラウンドでのコーチ育成しか手段を持たなかった私にとって、それはマイルストーンとなることである。

「人を育てられる人を育てる」ための仕組みを作れば、日本は変わる。

「人を育てる文化」が、企業、学校、家庭、少年スポーツに定着すれば、日本は強くなる。

実現を目指して、焦らず、あきらめず、たゆまず歩み続けたい。

Takanori

できることを増やす日々

新人研修の一式が終了し、少しのんびりした日々を過ごしていた。

1月より始まった、統制は取れているが戦争のような講師育成から始まり、新しい内容に挑戦した新人研修の終わりまで、走り抜けた後、さすがに少し疲れていたので、ちょうどよい休養だった。

休養とは言っても、一日中寝て過ごしていたわけではもちろんなく、いくつかの打ち合わせ、営業の準備、ラグビー関連のイベントへの参加、そしてもちろん、カタバミとの戦いを含む庭の整備などなど、それなりに活動はしていた。

その活動の中でも、特筆すべきは3Dプリンタを入手し、3D-CADをそれなりに使えるようになったことだろう。
これまではShadeという老舗の3Dグラフィックソフトを使っていたのだが、ソリッドモデルを扱う3D-CADの方が3Dプリンタと相性がいいことを実感したので、Fusion360という、私の場合フリーで利用できる3D-CADの学習を始めた。

新しいことを学ぶのはやはりエキサイティングである。
できない時の葛藤や不安、できるようになった時の快感、ブレークスルーになる気づきなど、普段の研修で受講者が体験しているものを自分で体験できる。
このような経験は、学びの場を作る際に必ず役に立つ。

なんども3Dプリンタによる出力を失敗しつつ、いくつかの気づきと工夫により、ある程度使えるようになり、できることが増えた。

例えば、RaspberryPi用のケースを作ったり、調子が悪くなっていたドライヤーの修理用の部品を作ったり、仕様的に物足りなかった芝刈り機をちょっと改造するパーツを作ったりできるようになった。

興味がない方には、それがどうした、と言われるかもしれないが、これまで同じようなことをするために、金属を削ったり、プラスチックを切ってヤスリをかけたり、木材をくっつけていた。しかもそれは一回限りの話で、同じものを作るには、また同じ手間をかけなければならなかったことを考えると、3Dプリンタは私にとっては革命級のものである。

3Dプリンタで、ブレッドボードにRaspberryPiをくっつけるアダプタは作った。いろいろ試すのに必要な部品や資料もそろってきた。
次はRaspberryPiによるハードウェアの制御をがっつりやってみる予定である。

できることを増やすことは、自分の可能性を増やすことだ。

1つ増えれば先が広がる。

続ければ何かがある。

Takanori

カタバミ戦記 その弐

カタバミとの戦いも新しいフェーズを迎えたようである。

掃討戦である。

芝が駆逐されてしまっているような主戦場での戦いはほぼ終わった。
私の勝利である。
「完全駆除は難しい」カタバミとはいえ、所詮は草である。スキルを身につけ、本気になった私の敵ではない。

まだ散発的な抵抗はあるが、それは見つけ次第たたけばよい。
多くの場合、大地のエネルギーを吸い上げる根を残したことが抵抗を許した原因であり、見晴らしのよい主戦場での抵抗は、高確率で長い根の発見につながるので逆に好都合である。

だが、掃討戦はむずかしい。

敵は、茂っている芝の中に姿を潜めているのだ。
ゲリラである。
俯瞰的に見てもなかなか見つかるものではない。

どうするか。

地道に探すしかない。
地べたに這いつくばるようにして、芝の根をかき分け、カタバミの葉、カタバミのほふく茎を探し出すのだ。

近づいてよく見ると、今まで気にならなかったような、緑のカタバミの葉や、他の雑草もよく見えるようになる。
それらを適宜抜きつつ、縦横無尽に這った芝をかき分け、芝に隠れるゲリラとなったカタバミを探すのだ。
芋虫と遭遇する恐怖におびえつつ、カタバミの姿を求め、芝をかき分ける。

「草の根分けても探し出す」という言い方がある。
この言葉は、きっと芝の中でカタバミと戦ったことがある人が考えたに違いない。
見つけてからもやっかいである。

敵の最大の武器であるほふく茎をたぐろうとしても、味方であるはずの芝に阻まれてしまうのだ。

まわりの芝ごと抜き去ってもよいのならば話は簡単なのだが、それでは本来の目的を見失ってしまっていると言わざるを得ない。
直接の目的はカタバミの殲滅なのだが、そもそも芝が浸食されてしまうから戦っているのだ。
私が芝を浸食してしまっては元も子もない。

だから、芝とカタバミを瞬時に見分けるスキルをフルに活用して芝の中からカタバミを見つけ、指先でさわれば見分けられるスキルもフルに使って、芝を避けつつカタバミのほふく茎をたぐるのだ。
そして、幸運にも長い根を発見できれば、芝のほふく茎の隙間に慎重に指を差し込みながら、カタバミの根を抜き去る。

芝とカタバミが錯綜するところでは、ほふく系を見失い根までたどり着けないことも多い。
間違って、芝を抜いてしまうことも増えてくる。
芝にすれば、流れ弾にあたったようなものだろう。

だが、芝もきっと分かってくれるに違いない。

私が苦労をして芝のために戦っていることを。
将来の芝の繁栄のために、戦い続けていることを。

歴史的に見ても、勝ちきることは不可能なのが掃討戦である。
ある程度戦ったら、あとは警備活動に委ねるしかないのだろう。

その日まで、あと少しがんばろう。

Takanori

闘い

私は争いごとは好きではない。
もちろん、負けるよりは勝ちたいという気持ちはあるが、なんかの競技会に出て誰かと競う、というのは苦手である。

だが男には戦わなければならないときがある。
今がその時だ。

相手はカタバミ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/カタバミ

別のページには「「カタバミ」は、良く見かける多年草の雑草で、成長が早く、繁殖力も強い雑草です。
除草剤が散布できない場合は、完全駆除は難しい雑草です。」と書いてある。
http://shibafu.sakuraweb.com/blog/1585.html

実際にうちの猫の額ほどもない庭でもたいへんな勢いで繁殖し、芝の一部を枯らしてしまった。

このまま放っておいては、うちの芝はカタバミ、それも緑でない「アカカタバミ」に浸食され、芝でなくなるだけではなく、緑でさえなくなってしまう。

このようにして、アカカタバミに売られたケンカを買うしかない状況に追い込まれ、やむなくカタバミと戦うことになった。

だが、敵は「完全駆除は難しい」相手である。
闘いは、案の定、苦戦した。

実は昨年からカタバミの浸食に悩まされており、最初はよく調べることもなく表面の葉をむしっていたのだが、まったく効果がない。

あたりまえである。
敵はほふく茎で生息エリアを広げていくのだ。

葉っぱをちぎられてもほふく茎から芽を出せるので、あっという間に再生してしまう。
再生どころか、芝生を浸食する面積もどんどん増えていく。

かくして、昨年は抵抗らしい抵抗もできずに、一方的に負けてしまった。
今年に入ってから、昨年の惨敗の記憶と共に再び戦いを挑んだ。
まずはきちんとした調査である。
「敵を知り己を知れば百戦危うからず」というではないか。

そこで分かったのは、カタバミはほふく茎(匍匐茎、地面を這って伸びる)で増えるということだ。
ならば、そのほふく茎を取り去らなければならない。

かくして、芝生の貼っている地面をかきわけ、その中からカタバミのほふく茎を探し出す、という想像以上に地味な戦い方の作戦となった。
発見したほふく茎をちぎれないようにたぐって取り去っていくのだ。

すると、あるとき、ほふく茎が長い根につながっているのを発見した。

掘り起こしてみると、前述のように、地表のか弱き様子から想像できないような太く長い根があったのだ。
敵のエネルギーの源はこの大地の全てを吸い上げようかという根にあるに違いない。

「ハートのかわいい葉っぱね」とか「綺麗な小さな黄色い花が咲いたよ」なんて言っている場合ではないのだ。
敵はかわいさで油断させ、裏では大地のエネルギーを吸い上げるために、こんな太い根を地中深くに伸ばしていたのだ。
腹黒いとは思うが、敵ながらあっぱれな作戦である。

この発見をもって作戦が変更された。

カタバミの葉があるところのまわりをさぐり、芝が張り巡らされてる隙間からほふく茎を探し出し、それをたぐりながら長い根を探し出し、掘り出す、という、複雑きわまりない作戦へと変更せざるを得なかったのだ。

最初の問題は、ほふく茎を芝の中から探すことだ。
ただ見ているだけでは、芝に隠れて見えないのだ。

そこで、技を編み出した。

手で地面をこするのだ。

すると、枯れた芝などが取り除かれ、必要最低限の視界が確保される。
その視界の中で、芝とほふく茎を見分けて、ちぎれないように細心の注意をもってほふく茎をたぐるのだ。

運がよければ、そのまま敵のエネルギー源の太く長い根にたどり着く。
たどり着いたら、芝を避けながら、地面深くに潜り込んでいる根を、途中で折らないように掘り出し引き抜く。

だが、いつも根までたどり着けるわけではない。

芝と絡み合ったほふく茎をたぐるのは想像以上にハードな作業なのだ。
見失ったり、芝に絡んでいるところで切れたり、ほふく茎じたいも途中で根を出して地面にくっついているのでそこで切れたりする。

このような地味にして複雑な作戦を繰り返し実施した。

一つの根を掘り返しても、ふと見るとすぐ脇にまた別のほふく茎があって、ため息をつくことも多い。
作戦に熱中して、ふと気が付くと腰が痛くて立ち上がれなくなっており、あえなく作戦中断ということも多々あった。

だが、ここ数日、地道な作戦を続けた成果が現れてきた。

まず、スキルが身についた。

生い茂る芝の中にあるカタバミのほふく茎を、ほぼ一瞬で見分けられるようになった。

それだけではない。

指先でつまんだ感覚で、芝なのか、カタバミのほふく茎なのかが分かるようになった。
その指先の感覚を頼りにほふく茎をたどり、根までたどり着ける比率が高くなった。

このスキルを武器にカタバミと戦い続けたところ、ほぼほぼ制圧できたようである。

指先は、度重なる戦いの傷跡が残りがさがさになっている。
だが、そんなのは小さなことである。

大切なのは「完全駆除は難しい」といわれたカタバミに売られたケンカを買い、勝利できそうだということだ。

まだまだ完全制圧できたとは言えない。

ふとバトルフィールドに降りて見下ろすと、そこにはカタバミの小さな葉があったりする。

今でも、目をつむるとカタバミのほふく茎がまぶたの裏に浮かぶ。
だが、この戦いもあと少しだ。
私の勝利は近い。

ほぼ制圧できた状態で、化学兵器の「芝の除草剤」の導入も行った。
「完全駆除が難しい」敵を相手に、油断は許されないのだ。

勝敗の結果は、この夏に出るだろう。

芝が勢力を盛り返せば私の勝ち。

一部でもカタバミエリアを確保されたら私の負けである。

Takanori

グループワークによる研修の作り方

私の研修では、IT系の技術研修であってもグループワークを多用する。
なぜなら、その方が学習効率がはるかに高いからである。

私はグループワークにより研修を構成することに慣れてしまったので、もうそれほど難しいことだとは感じないのだが、はじめて取り組む人には難しいことだろうとは思う。

難しいと思う人に少しでも役に立てるように、今回はグループワークによって研修を考える際の考え方を簡単に記したい。

グループワークにて構成する研修では、次のような流れで考える。

1・学んでもらいたいことを分解、分析する。
2・学んでもらいやすい流れを考える。
3・気付いたり考えてもらえる課題を考える。
4・課題を実施した際の展開をシミュレーションする。
5・シミュレーションの結果から課題を修正する。
6・適切なインストラクションを考える。

そして実施する。

7・グループワーク中の様子を観察し、問題あれば修正する。
8・グループワークの結果から学んでもらいたいことを伝える。
9・結果を検証して記録に残す。

実施が終われば振り返りである。

10・発表、振り返り、強調など

1の「分析」がグループワークの成果を決める上で重要である。
例えば「話せるようになる」を研修の成果として考えた場合には、「話せない原因は何か?」「その原因は本当に唯一の原因なのか、他にはないのか?」「原因を克服、もしくは他の方法でカバーするにはどうするか?」など、必要な要素に分析し、対策を考える。
この時点で的を外してしまえば、グループワークの意味がなくなってしまう。
実際には、分析ができないようでは、教えること自体もままならないはずである。

3の「課題を考える」はアイデア勝負である。
瞬間でアイデアが浮かぶ場合もあるし、そうでない場合もある。
そうでない場合には、1日も2日も3日もかかることがあるが、ここで手を抜くと期待した成果が上がらない。
既存の課題をカスタマイズしたり組み合わせて使うこともある。
分析を元にした自由な発想がここでは重要である。
グループワークの実施には、実施に向けてのインストラクションが欠かせない。
6の「インストラクション」ではそれを検討する。

グループワークの種類や、参加者の人数や状態によっても導入インストラクションの方法は変わってくるが、だいたいの流れはある。

1・最初に質問をして興味を引き出し、質問を繰り返しつつ興味をより対象に向ける。
2・希望などとからめて目的を与えモチベートする。
3・グループワークの内容を正確に伝える。
必要ならば、何度か言葉を変えつつ繰り返す。
4・質問を受け付け、曖昧な点をなくす。
5・納得できる時間の設定を行う。
6・焦らすようにしつつ開始。

これは私が無意識に行っていたことを簡単に分析した結果である。なので他にもパターンはあるのだろうが、最もポピュラーで応用が利くように思える。
10の「発表、振り返り、強調」をきちんと行うことで、グループワークの成果を活かせる。
この「グループワークで出てきたもの」のハンドリングには分析の結果、また、分析に利用した知識などが必要になる。リアルタイムでの判断も必要になるので、神経を使うところである。
だが、ここがうまくできないとグループワークだけで研修を構成することは難しい。
他にも、1の前にどんな話しから入るのか、なども重要な要素である。
結局、精度の高い分析スキル、雰囲気を作れるスピーチスキル、場とのセッションを維持するスキル、グループワークの状態の観察スキルなどの各種スキルが必要になるのだが、これらをクリアしてぴったりはまったグループワークができると、驚くほどの成果が上がる。

その成果を見てしまうと、もっと広く、もっと深く、を目指す学びの場を創りたいという欲求が湧いてくる。
先日はインプロの要素を取り込んだグループワークにも挑戦した。
結果は、設計、実施した私が驚くようなものだった。

やはり原理原則は裏切らない。
基本に則って、ひとつひとつをきちんと実施することが、最大の成果につながるのだというのを強く感じることができた。

不安の中のチャレンジではあったが、チャレンジしたことによって、少し「広く」を進めることができたように思う。

Takanori

講師育成はマネージャ育成と同じ

今年も講師育成研修に携わる機会をいただいた。

講師育成のカリキュラム設計や実施スキルは、そのままマネージャや教師など、人を育てたり、チームを運用したりする人を育てる研修に適用可能である。

講師育成研修では、方針の決定、カリキュラムの作成、講師育成を担当する講師の育成、意識付けの研修実施、実施中の他の講師へのフィードバックやアドバイス、参加者のモニタリングなど、全般に関するマネジメントを行っているが、その中で、人の意識を変えていく研修のあり方について、方法論としてある程度確立できたと考えるようになった。

また、それを担当する講師に必要なスキルについても、かなり明確になってきた。
もちろん、講師の仕事に100%はないので、さらに学び続けることになるが、現時点である程度の成果を「見込める」ようになったと判断してもよいと思う。

これまで、その方法論で構成された講師育成研修に参加してくださった方の中には、研修での講師経験のあとに、現場に戻られて大きく成長されたという報告を受ける方が、かなりの数おられる。
現在進行中の講師育成においても、家族との関係が変わった、というお話をうかがうこともあるが、これも研修の成果の一つだと思う。

これらの経験と実績を元に、今年はマネージャやチームリーダー向けの研修を実現していきたいと考えている。

実は講師としてのスキルや意識は、そのままマネージャやチームリーダーのスキルや意識になる。

講師を「説明する人」ととらえている限り、講師とマネージャの関連性は見えてこないだろうが、講師を「研修現場の成果を最大化することが目的のリーダー」としてとらえてみたらどうだろうか。

リーダーの役割は「チームの成果を最大化すること」であり、講師の役割も「チームの成果を最大化すること」である。
成果そのものが作業の結果であったり、売上の向上であったり、成長であったりはするが、結局は、チームメンバーがその気で動くようにならなければ実現できないという点では同じことである。

だから、よい講師であるということは、よいリーダー、マネージャになれるということなのだ。

ちなみに、よい講師であるために必要なスキルを以下にあげてみる。

・観察スキル
・カリキュラム(グループワークのシーケンス)設計スキル
・ストーリーテリングのスキル
・質問のスキル
・グループワークの結果のハンドリングスキル
・学ばせたいことに対する体系的な知識
・学ばせたいことに対する学び方の知識
・即興力
・ファシリテーションスキル
・コーチングスキル
・カウンセリングに関する知識
・自然な演技力
・目的、目標設定スキル
・チームのメンバーを成長させる意思
・チームの目的を見失わない自制心
・チームを最優先に考える自制心と意思
・チームを活かす行動を起こすための自律性
・総合的なコミュニケーションスキル
・などなど

これらが備わっているのはよい講師だと考えるが、よいリーダー、マネージャにもつながることは間違いない。
これらの習得には、意識の変化、考え方の変化、そして訓練が必要となる。
講師育成研修では、実際に意識の変化、考え方の変化を生み、行動の変化につながることを実現している。
行動の変化に対応する結果は、開始2週間で、すでに参加者が認識できる形で現れている。
もちろん、チームでの学びをベースとした訓練をたくさん重ね、定着を目指している。
知識を伝達しても、意識や考え方の変化は起こらない。
訓練を重ねなければ、行動の変化の定着にはつながらない。
私の担当する研修の実施中に、それを見ていた講師仲間が言ったひと言がとてもおもしろかった。

「当たり前のことを言っている、と思っているんだろうな。」

その研修の様子をご覧になっていた別のお客さんの反応を見ての感想だが、間違いなく、私の研修では「当たり前のこと」を伝えている。

本やネットを見れば書いてあるようなことだけである。
特別なことも、楽をするための技法も伝えてはいない。
時間もかかる。
話すだけなら30分もあれば終わることを、1日かけて伝える。

だが、参加者の、意識が変わり、行動が変わる。
そんな研修を一緒にやっていただける方がおられれば、ぜひご連絡をお願いしたい。

2週間~4週間程度の長期の研修を想定しているが、これまで意識が変えられなかったことは一度もない。

だが、私は集客が得意ではないし、講師のスキルを高めることにエネルギーを使いたい。

見ていた方や受けていただいた方には「必ず需要がある」と言われるが、今の日本にはない研修のため、言葉で説明して理解してもらうのは難しい。
だから、一緒に広め方を考えてくれるところからでもよい。

講師スキルを学びたい、でもよいし、意識の変わる研修を広めたい、でもよい。

一緒に歩いていただける方を増やしていきたい。

Takanori

2年目の油断

今年も1月末から講師育成研修に携わっているが、3月になると「2年目の油断研修」というのを行うことになる。
はじめて研修会場に赴く新人講師の方ではなく、2回目、3回目となる講師の方向けの研修である。

講師業をはじめて最初の研修がうまくいった方が、2年目、3年目に失敗する例が後を絶たない。
それを防ぐための意識付けの研修である。

1年目がうまく行ったのに、なぜ2年目以降で失敗してしまうのか。

多くの場合の原因は「手抜き」である。

1年目にうまく行った理由は、受講者の為に一生懸命に工夫し、受講者のことを観察して行動したことだろうが、2年目では「去年できたから大丈夫だろう」と「一生懸命」をなくしてしまうのだ。
そして、成功した経験に依存するようになる。
成功した経験に依存し、工夫をせずに同じことをする。

だが、研修は、例え同じクライアントが会社であったとしても毎年違う。
人数が違うこともあれば、会場が違うこともある。
もちろん参加者の個性は毎回違う。

その違う研修で、前回と同じことをやってうまくいくわけがないのだが、「一生懸命の工夫」が欠けることで経験に依存してしまい、参加者にマッチしない研修となり、失敗してしまう。

もう一つの重要な原因は、不安である。

不安なので、成功体験にすがろうとする。
結果として、成功したと認識している「前年と同じこと」をやろうとするのだが、参加者が違う以上マッチしない。
結果、研修が失敗してしまうのだ。
大丈夫だろうという油断、不安から来る成功体験への依存、これらはどちらも「今いる参加者」を見ての工夫がない状態である。

実際に、毎年同じように参加者を観察し、マッチするような研修を組み立てることはたいへんなことである。
だから、手を抜いたり、成功体験に依存したりしたい気持ちも分からないではない。

でも、成功体験への依存ではうまくいくわけがない、というのを納得してもらうのが「2年目の油断研修」である。
今年も、今いる参加者をしっかり見て、研修を組み立てる必要がありますよ、に納得してもらうことが目的である。
失敗した後に「今年は参加者のレベルが低くて」という言い訳をする方もいる。
あえて、講師とは呼ばない。
研修の失敗を参加者のせいにするのは講師ではないからだ。
「研修が失敗したら講師のせい。
研修が成功したら参加者の頑張りのおかげ。」
講師はこの気持ちを忘れてはいけない。