Archive for 長谷川 貴則

Takanori

カタバミ戦記 その弐

カタバミとの戦いも新しいフェーズを迎えたようである。

掃討戦である。

芝が駆逐されてしまっているような主戦場での戦いはほぼ終わった。
私の勝利である。
「完全駆除は難しい」カタバミとはいえ、所詮は草である。スキルを身につけ、本気になった私の敵ではない。

まだ散発的な抵抗はあるが、それは見つけ次第たたけばよい。
多くの場合、大地のエネルギーを吸い上げる根を残したことが抵抗を許した原因であり、見晴らしのよい主戦場での抵抗は、高確率で長い根の発見につながるので逆に好都合である。

だが、掃討戦はむずかしい。

敵は、茂っている芝の中に姿を潜めているのだ。
ゲリラである。
俯瞰的に見てもなかなか見つかるものではない。

どうするか。

地道に探すしかない。
地べたに這いつくばるようにして、芝の根をかき分け、カタバミの葉、カタバミのほふく茎を探し出すのだ。

近づいてよく見ると、今まで気にならなかったような、緑のカタバミの葉や、他の雑草もよく見えるようになる。
それらを適宜抜きつつ、縦横無尽に這った芝をかき分け、芝に隠れるゲリラとなったカタバミを探すのだ。
芋虫と遭遇する恐怖におびえつつ、カタバミの姿を求め、芝をかき分ける。

「草の根分けても探し出す」という言い方がある。
この言葉は、きっと芝の中でカタバミと戦ったことがある人が考えたに違いない。
見つけてからもやっかいである。

敵の最大の武器であるほふく茎をたぐろうとしても、味方であるはずの芝に阻まれてしまうのだ。

まわりの芝ごと抜き去ってもよいのならば話は簡単なのだが、それでは本来の目的を見失ってしまっていると言わざるを得ない。
直接の目的はカタバミの殲滅なのだが、そもそも芝が浸食されてしまうから戦っているのだ。
私が芝を浸食してしまっては元も子もない。

だから、芝とカタバミを瞬時に見分けるスキルをフルに活用して芝の中からカタバミを見つけ、指先でさわれば見分けられるスキルもフルに使って、芝を避けつつカタバミのほふく茎をたぐるのだ。
そして、幸運にも長い根を発見できれば、芝のほふく茎の隙間に慎重に指を差し込みながら、カタバミの根を抜き去る。

芝とカタバミが錯綜するところでは、ほふく系を見失い根までたどり着けないことも多い。
間違って、芝を抜いてしまうことも増えてくる。
芝にすれば、流れ弾にあたったようなものだろう。

だが、芝もきっと分かってくれるに違いない。

私が苦労をして芝のために戦っていることを。
将来の芝の繁栄のために、戦い続けていることを。

歴史的に見ても、勝ちきることは不可能なのが掃討戦である。
ある程度戦ったら、あとは警備活動に委ねるしかないのだろう。

その日まで、あと少しがんばろう。

Takanori

闘い

私は争いごとは好きではない。
もちろん、負けるよりは勝ちたいという気持ちはあるが、なんかの競技会に出て誰かと競う、というのは苦手である。

だが男には戦わなければならないときがある。
今がその時だ。

相手はカタバミ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/カタバミ

別のページには「「カタバミ」は、良く見かける多年草の雑草で、成長が早く、繁殖力も強い雑草です。
除草剤が散布できない場合は、完全駆除は難しい雑草です。」と書いてある。
http://shibafu.sakuraweb.com/blog/1585.html

実際にうちの猫の額ほどもない庭でもたいへんな勢いで繁殖し、芝の一部を枯らしてしまった。

このまま放っておいては、うちの芝はカタバミ、それも緑でない「アカカタバミ」に浸食され、芝でなくなるだけではなく、緑でさえなくなってしまう。

このようにして、アカカタバミに売られたケンカを買うしかない状況に追い込まれ、やむなくカタバミと戦うことになった。

だが、敵は「完全駆除は難しい」相手である。
闘いは、案の定、苦戦した。

実は昨年からカタバミの浸食に悩まされており、最初はよく調べることもなく表面の葉をむしっていたのだが、まったく効果がない。

あたりまえである。
敵はほふく茎で生息エリアを広げていくのだ。

葉っぱをちぎられてもほふく茎から芽を出せるので、あっという間に再生してしまう。
再生どころか、芝生を浸食する面積もどんどん増えていく。

かくして、昨年は抵抗らしい抵抗もできずに、一方的に負けてしまった。
今年に入ってから、昨年の惨敗の記憶と共に再び戦いを挑んだ。
まずはきちんとした調査である。
「敵を知り己を知れば百戦危うからず」というではないか。

そこで分かったのは、カタバミはほふく茎(匍匐茎、地面を這って伸びる)で増えるということだ。
ならば、そのほふく茎を取り去らなければならない。

かくして、芝生の貼っている地面をかきわけ、その中からカタバミのほふく茎を探し出す、という想像以上に地味な戦い方の作戦となった。
発見したほふく茎をちぎれないようにたぐって取り去っていくのだ。

すると、あるとき、ほふく茎が長い根につながっているのを発見した。

掘り起こしてみると、前述のように、地表のか弱き様子から想像できないような太く長い根があったのだ。
敵のエネルギーの源はこの大地の全てを吸い上げようかという根にあるに違いない。

「ハートのかわいい葉っぱね」とか「綺麗な小さな黄色い花が咲いたよ」なんて言っている場合ではないのだ。
敵はかわいさで油断させ、裏では大地のエネルギーを吸い上げるために、こんな太い根を地中深くに伸ばしていたのだ。
腹黒いとは思うが、敵ながらあっぱれな作戦である。

この発見をもって作戦が変更された。

カタバミの葉があるところのまわりをさぐり、芝が張り巡らされてる隙間からほふく茎を探し出し、それをたぐりながら長い根を探し出し、掘り出す、という、複雑きわまりない作戦へと変更せざるを得なかったのだ。

最初の問題は、ほふく茎を芝の中から探すことだ。
ただ見ているだけでは、芝に隠れて見えないのだ。

そこで、技を編み出した。

手で地面をこするのだ。

すると、枯れた芝などが取り除かれ、必要最低限の視界が確保される。
その視界の中で、芝とほふく茎を見分けて、ちぎれないように細心の注意をもってほふく茎をたぐるのだ。

運がよければ、そのまま敵のエネルギー源の太く長い根にたどり着く。
たどり着いたら、芝を避けながら、地面深くに潜り込んでいる根を、途中で折らないように掘り出し引き抜く。

だが、いつも根までたどり着けるわけではない。

芝と絡み合ったほふく茎をたぐるのは想像以上にハードな作業なのだ。
見失ったり、芝に絡んでいるところで切れたり、ほふく茎じたいも途中で根を出して地面にくっついているのでそこで切れたりする。

このような地味にして複雑な作戦を繰り返し実施した。

一つの根を掘り返しても、ふと見るとすぐ脇にまた別のほふく茎があって、ため息をつくことも多い。
作戦に熱中して、ふと気が付くと腰が痛くて立ち上がれなくなっており、あえなく作戦中断ということも多々あった。

だが、ここ数日、地道な作戦を続けた成果が現れてきた。

まず、スキルが身についた。

生い茂る芝の中にあるカタバミのほふく茎を、ほぼ一瞬で見分けられるようになった。

それだけではない。

指先でつまんだ感覚で、芝なのか、カタバミのほふく茎なのかが分かるようになった。
その指先の感覚を頼りにほふく茎をたどり、根までたどり着ける比率が高くなった。

このスキルを武器にカタバミと戦い続けたところ、ほぼほぼ制圧できたようである。

指先は、度重なる戦いの傷跡が残りがさがさになっている。
だが、そんなのは小さなことである。

大切なのは「完全駆除は難しい」といわれたカタバミに売られたケンカを買い、勝利できそうだということだ。

まだまだ完全制圧できたとは言えない。

ふとバトルフィールドに降りて見下ろすと、そこにはカタバミの小さな葉があったりする。

今でも、目をつむるとカタバミのほふく茎がまぶたの裏に浮かぶ。
だが、この戦いもあと少しだ。
私の勝利は近い。

ほぼ制圧できた状態で、化学兵器の「芝の除草剤」の導入も行った。
「完全駆除が難しい」敵を相手に、油断は許されないのだ。

勝敗の結果は、この夏に出るだろう。

芝が勢力を盛り返せば私の勝ち。

一部でもカタバミエリアを確保されたら私の負けである。

Takanori

グループワークによる研修の作り方

私の研修では、IT系の技術研修であってもグループワークを多用する。
なぜなら、その方が学習効率がはるかに高いからである。

私はグループワークにより研修を構成することに慣れてしまったので、もうそれほど難しいことだとは感じないのだが、はじめて取り組む人には難しいことだろうとは思う。

難しいと思う人に少しでも役に立てるように、今回はグループワークによって研修を考える際の考え方を簡単に記したい。

グループワークにて構成する研修では、次のような流れで考える。

1・学んでもらいたいことを分解、分析する。
2・学んでもらいやすい流れを考える。
3・気付いたり考えてもらえる課題を考える。
4・課題を実施した際の展開をシミュレーションする。
5・シミュレーションの結果から課題を修正する。
6・適切なインストラクションを考える。

そして実施する。

7・グループワーク中の様子を観察し、問題あれば修正する。
8・グループワークの結果から学んでもらいたいことを伝える。
9・結果を検証して記録に残す。

実施が終われば振り返りである。

10・発表、振り返り、強調など

1の「分析」がグループワークの成果を決める上で重要である。
例えば「話せるようになる」を研修の成果として考えた場合には、「話せない原因は何か?」「その原因は本当に唯一の原因なのか、他にはないのか?」「原因を克服、もしくは他の方法でカバーするにはどうするか?」など、必要な要素に分析し、対策を考える。
この時点で的を外してしまえば、グループワークの意味がなくなってしまう。
実際には、分析ができないようでは、教えること自体もままならないはずである。

3の「課題を考える」はアイデア勝負である。
瞬間でアイデアが浮かぶ場合もあるし、そうでない場合もある。
そうでない場合には、1日も2日も3日もかかることがあるが、ここで手を抜くと期待した成果が上がらない。
既存の課題をカスタマイズしたり組み合わせて使うこともある。
分析を元にした自由な発想がここでは重要である。
グループワークの実施には、実施に向けてのインストラクションが欠かせない。
6の「インストラクション」ではそれを検討する。

グループワークの種類や、参加者の人数や状態によっても導入インストラクションの方法は変わってくるが、だいたいの流れはある。

1・最初に質問をして興味を引き出し、質問を繰り返しつつ興味をより対象に向ける。
2・希望などとからめて目的を与えモチベートする。
3・グループワークの内容を正確に伝える。
必要ならば、何度か言葉を変えつつ繰り返す。
4・質問を受け付け、曖昧な点をなくす。
5・納得できる時間の設定を行う。
6・焦らすようにしつつ開始。

これは私が無意識に行っていたことを簡単に分析した結果である。なので他にもパターンはあるのだろうが、最もポピュラーで応用が利くように思える。
10の「発表、振り返り、強調」をきちんと行うことで、グループワークの成果を活かせる。
この「グループワークで出てきたもの」のハンドリングには分析の結果、また、分析に利用した知識などが必要になる。リアルタイムでの判断も必要になるので、神経を使うところである。
だが、ここがうまくできないとグループワークだけで研修を構成することは難しい。
他にも、1の前にどんな話しから入るのか、なども重要な要素である。
結局、精度の高い分析スキル、雰囲気を作れるスピーチスキル、場とのセッションを維持するスキル、グループワークの状態の観察スキルなどの各種スキルが必要になるのだが、これらをクリアしてぴったりはまったグループワークができると、驚くほどの成果が上がる。

その成果を見てしまうと、もっと広く、もっと深く、を目指す学びの場を創りたいという欲求が湧いてくる。
先日はインプロの要素を取り込んだグループワークにも挑戦した。
結果は、設計、実施した私が驚くようなものだった。

やはり原理原則は裏切らない。
基本に則って、ひとつひとつをきちんと実施することが、最大の成果につながるのだというのを強く感じることができた。

不安の中のチャレンジではあったが、チャレンジしたことによって、少し「広く」を進めることができたように思う。

Takanori

講師育成はマネージャ育成と同じ

今年も講師育成研修に携わる機会をいただいた。

講師育成のカリキュラム設計や実施スキルは、そのままマネージャや教師など、人を育てたり、チームを運用したりする人を育てる研修に適用可能である。

講師育成研修では、方針の決定、カリキュラムの作成、講師育成を担当する講師の育成、意識付けの研修実施、実施中の他の講師へのフィードバックやアドバイス、参加者のモニタリングなど、全般に関するマネジメントを行っているが、その中で、人の意識を変えていく研修のあり方について、方法論としてある程度確立できたと考えるようになった。

また、それを担当する講師に必要なスキルについても、かなり明確になってきた。
もちろん、講師の仕事に100%はないので、さらに学び続けることになるが、現時点である程度の成果を「見込める」ようになったと判断してもよいと思う。

これまで、その方法論で構成された講師育成研修に参加してくださった方の中には、研修での講師経験のあとに、現場に戻られて大きく成長されたという報告を受ける方が、かなりの数おられる。
現在進行中の講師育成においても、家族との関係が変わった、というお話をうかがうこともあるが、これも研修の成果の一つだと思う。

これらの経験と実績を元に、今年はマネージャやチームリーダー向けの研修を実現していきたいと考えている。

実は講師としてのスキルや意識は、そのままマネージャやチームリーダーのスキルや意識になる。

講師を「説明する人」ととらえている限り、講師とマネージャの関連性は見えてこないだろうが、講師を「研修現場の成果を最大化することが目的のリーダー」としてとらえてみたらどうだろうか。

リーダーの役割は「チームの成果を最大化すること」であり、講師の役割も「チームの成果を最大化すること」である。
成果そのものが作業の結果であったり、売上の向上であったり、成長であったりはするが、結局は、チームメンバーがその気で動くようにならなければ実現できないという点では同じことである。

だから、よい講師であるということは、よいリーダー、マネージャになれるということなのだ。

ちなみに、よい講師であるために必要なスキルを以下にあげてみる。

・観察スキル
・カリキュラム(グループワークのシーケンス)設計スキル
・ストーリーテリングのスキル
・質問のスキル
・グループワークの結果のハンドリングスキル
・学ばせたいことに対する体系的な知識
・学ばせたいことに対する学び方の知識
・即興力
・ファシリテーションスキル
・コーチングスキル
・カウンセリングに関する知識
・自然な演技力
・目的、目標設定スキル
・チームのメンバーを成長させる意思
・チームの目的を見失わない自制心
・チームを最優先に考える自制心と意思
・チームを活かす行動を起こすための自律性
・総合的なコミュニケーションスキル
・などなど

これらが備わっているのはよい講師だと考えるが、よいリーダー、マネージャにもつながることは間違いない。
これらの習得には、意識の変化、考え方の変化、そして訓練が必要となる。
講師育成研修では、実際に意識の変化、考え方の変化を生み、行動の変化につながることを実現している。
行動の変化に対応する結果は、開始2週間で、すでに参加者が認識できる形で現れている。
もちろん、チームでの学びをベースとした訓練をたくさん重ね、定着を目指している。
知識を伝達しても、意識や考え方の変化は起こらない。
訓練を重ねなければ、行動の変化の定着にはつながらない。
私の担当する研修の実施中に、それを見ていた講師仲間が言ったひと言がとてもおもしろかった。

「当たり前のことを言っている、と思っているんだろうな。」

その研修の様子をご覧になっていた別のお客さんの反応を見ての感想だが、間違いなく、私の研修では「当たり前のこと」を伝えている。

本やネットを見れば書いてあるようなことだけである。
特別なことも、楽をするための技法も伝えてはいない。
時間もかかる。
話すだけなら30分もあれば終わることを、1日かけて伝える。

だが、参加者の、意識が変わり、行動が変わる。
そんな研修を一緒にやっていただける方がおられれば、ぜひご連絡をお願いしたい。

2週間~4週間程度の長期の研修を想定しているが、これまで意識が変えられなかったことは一度もない。

だが、私は集客が得意ではないし、講師のスキルを高めることにエネルギーを使いたい。

見ていた方や受けていただいた方には「必ず需要がある」と言われるが、今の日本にはない研修のため、言葉で説明して理解してもらうのは難しい。
だから、一緒に広め方を考えてくれるところからでもよい。

講師スキルを学びたい、でもよいし、意識の変わる研修を広めたい、でもよい。

一緒に歩いていただける方を増やしていきたい。

Takanori

2年目の油断

今年も1月末から講師育成研修に携わっているが、3月になると「2年目の油断研修」というのを行うことになる。
はじめて研修会場に赴く新人講師の方ではなく、2回目、3回目となる講師の方向けの研修である。

講師業をはじめて最初の研修がうまくいった方が、2年目、3年目に失敗する例が後を絶たない。
それを防ぐための意識付けの研修である。

1年目がうまく行ったのに、なぜ2年目以降で失敗してしまうのか。

多くの場合の原因は「手抜き」である。

1年目にうまく行った理由は、受講者の為に一生懸命に工夫し、受講者のことを観察して行動したことだろうが、2年目では「去年できたから大丈夫だろう」と「一生懸命」をなくしてしまうのだ。
そして、成功した経験に依存するようになる。
成功した経験に依存し、工夫をせずに同じことをする。

だが、研修は、例え同じクライアントが会社であったとしても毎年違う。
人数が違うこともあれば、会場が違うこともある。
もちろん参加者の個性は毎回違う。

その違う研修で、前回と同じことをやってうまくいくわけがないのだが、「一生懸命の工夫」が欠けることで経験に依存してしまい、参加者にマッチしない研修となり、失敗してしまう。

もう一つの重要な原因は、不安である。

不安なので、成功体験にすがろうとする。
結果として、成功したと認識している「前年と同じこと」をやろうとするのだが、参加者が違う以上マッチしない。
結果、研修が失敗してしまうのだ。
大丈夫だろうという油断、不安から来る成功体験への依存、これらはどちらも「今いる参加者」を見ての工夫がない状態である。

実際に、毎年同じように参加者を観察し、マッチするような研修を組み立てることはたいへんなことである。
だから、手を抜いたり、成功体験に依存したりしたい気持ちも分からないではない。

でも、成功体験への依存ではうまくいくわけがない、というのを納得してもらうのが「2年目の油断研修」である。
今年も、今いる参加者をしっかり見て、研修を組み立てる必要がありますよ、に納得してもらうことが目的である。
失敗した後に「今年は参加者のレベルが低くて」という言い訳をする方もいる。
あえて、講師とは呼ばない。
研修の失敗を参加者のせいにするのは講師ではないからだ。
「研修が失敗したら講師のせい。
研修が成功したら参加者の頑張りのおかげ。」
講師はこの気持ちを忘れてはいけない。

Takanori

レベル分けグループについて

技術系の新人研修などでは、よく「レベル別のグルーピング」が行われる。
開始時、もしくは適宜テストなどによりレベル分けをして、レベル毎にグルーピングをするのだ。

新人研修などでも、お客さんから「レベル別のグルーピングをしてほしい」という依頼を受けることがある。
理由をうかがうと「みんながやる気になるから。」というような理由であることが多い。

今回はこの「レベル別のグルーピング」について考えてみたい。
「レベル別のグルーピング」を行う理由は次のようなものだろう。

1つには、グループ内部での情報交換をしやすくなることがあげられる。
似たようなレベルのメンバーがいることで、教え合ったり、一緒に考えたりしやすくなることが期待できる。

また、よりレベルの高いグループになりたいために、モチベーションが高まることも理由の1つだろう。
特に上位レベルのグループにはそのような傾向が見られることが多い。

一般的には、これらがレベル別のグルーピングを行うメリットととらえられるだろう。
では、デメリットはどんなものがあるのだろうか。
・下位レベルのグループのモチベーションが上がらないことがある。

下位レベルのグループには「どうせやっても上には行けない」という気持ちになりがちである。
上位グループの進み方が早くなることも多く、上位に上がることはなかなかむずかしいために、特にレベルの低い人が「どうせだめなんだ」と思うことが多くなる。

・評価基準が「技術スキル」のみになりがち。

上位グループにいることが「善」となり、他の要素が評価されづらくなる。
技術スキル以外に何か問題があったとしても「技術スキルがあるからいいだろう」という判断を自他共にしがちになる。

・レベルが異なるグループ間に隙間ができることがある。

上位グループと下位グループの間だけでなく、それぞれのグループ内の上位と下位でも心理的な隙間ができることがある。
技術スキルのみに従った「階級」ができてしまう、とでも言えばよいだろうか。
チーム一丸となって、という形にはなりにくい。
これらに加えて、実は、最初にメリットのように書いた「グループ内の情報交換」、「モチベーションの向上」ももう少し分析する必要がある。
「グループ内の情報交換」だが、教えることにより自分のレベルが下がることは避けたい心理が当然のように働く。
教えているようだけど親身になっては教えていない、もしくは、教えない、という状態になることがある。
それぞれのグループの中でも上位レベルのメンバーだけが話し合っている、というシーンができたりする。
結果として、チームの成果、という発想が芽生えないために、せっかくの学び合いのチャンスをなくしてしまうことになる。

「モチベーションの向上」は見られるのだが、それは「下のレベルに落ちたくない」「上のレベルに行かないと不利だ」という心理がベースのモチベーションになりがちである。
これは、例えば、頭に銃を突きつけられて「やらないと撃つぞ」と言われているのと同じ種類の外的モチベーションになる。
「やりたい」「できるようになりたい」という内的モチベーションではないために、レベル別のグループ、というモチベーションの源がなくなった段階でモチベーションもなくなってしまう。
そのため、研修後のモチベーションの継続が難しくなる可能性が高い。
新人研修で目指す成果のうち、「チームで働くスキル」の習得というのは大きなウェイトを占めると私は考えている。

チームで働くには、メンバーのよいところを認め合う、という要素が欠かせないのだが、レベル分けをしたグループによる研修では評価基準が技術スキルに偏りやすく、技術スキルは高くないがリーダーシップが高い、というような評価がなされにくくなる。
ムードメーカーと呼ばれる人は基本となるコミュニケーションスキルが高いことが多いが、このようなスキルも評価対象になりにくい。
実際のところ、技術スキルは業務で触れていく中で自然に伸びていくが、チームで働く意識を現場で身につけ訓練することはなかなか難しい。
だからこそ、新人研修ではチームで働くスキルを身につけさせる必要があると考えている。
これらの理由から、私が新人研修の講師をするときには「レベル別のグルーピング」は行っていない。
レベル別のグルーピングを行うことで、新人研修で身につけてもらうべきチームで働くスキルを身につけてもらうことや、研修終了後のモチベーションにつなげることが難しくなるからだ。
レベル別のグルーピング以外に、モチベーションを上げて技術スキルを高め、加えてチームで働くスキルを身につけてもらう方法を使えばよい。

その方法とは、簡単にいえば、個の成果からチームの成果に評価基準を切り替えることである。

具体的な進め方については、また後ほど書いてみようと思う。

Takanori

健康大事

2016年11月の後半から一ヶ月半ほど、頭痛に悩まされてきた。

後頭部の刺すような痛み、前頭部の重い痛みなどいろいろな痛みが出て、ひどいときには身体の向きを変えることさえためらわれた。

下に落ちているものを拾うためにかがめば痛むし、寝ている状態から立ち上がっても痛むし、逆に横になるときにも痛む。
笑っても、トイレで力んでも痛むし、咳やくしゃみなど論外である。

結局、こんな状態で1ヶ月半ほど過ごした。
痛み始めた当初、治したいので病院に行ってCTを取るところからはじめた。
頭蓋骨の中の問題だと、下手すると死んでしまうのでまずは調べてもらったのだが、特に異常はない、とのことだった。

次に、整体に行って首の周りを見てもらったのだが、施術してもらっても、状態に変化は感じられるものの、痛みがなくなるわけではなかった。

そんな中でも仕事の打ち合わせなどに行っていたのだが、あるとき打ち合わせに参加された方から「顎関節症なのではないか?」という指摘をいただいた。
その方の奥様が、やはり頭痛などで悩んでいて、いろいろ調べた末に顎関節症が原因であると分かった、とのことだった。

「顎関節症ではないか」という指摘をいただいたときに、なるほど、と思った。

なぜかはよく分からないのだが、頭痛が起きている場所が問題ではない、それ以外の部分に問題があるのだ、と強く感じられたのだ。

それからは、歯医者に行ってかみ合わせを見てもらったり、アレクサンダー・テクニークという身体の使い方を調べたり、顎関節症の矯正、身体全体の矯正などに行ったり、普段の姿勢をよくすることに心がけたり、関連すると思われる部位のストレッチを心がけたりした。

また、プチ断食を行って食事の量を減らし、体重も5Kgほど減らした。
どれが功を奏したのかは分からないが、今年に入って、急に楽になる日が出てきた。
それまでは痛みが怖くて歩く程度の運動もしたくなかったのだが、1月3日には歩く気になって、買い物のついでに1時間半ほど歩いてみた。

すると、なにかモードが変わったように楽になった。
まだ、少し痛みが出るときはあるのだが、今までとは全く違う。
本当に治ったのかどうかはしばらく様子を見なければわからないが、なんとなく大丈夫な気がする。
頭痛が原因で、1ヶ月半ほど自分の身体と習慣に向き合った結果、姿勢、食生活、習慣などなど、気をつけなければならないことがたくさん見えてきた。
ダイエットは続けなければならないし、正しい姿勢を維持するための筋力も鍛えなければならない。
食生活、運動習慣も変える必要がある。
ストレッチの習慣化も大切だろう。
頭痛はつらい経験だったが、自分を見つめ直すいいきっかけになった。

健康オタクにはならないと思うが、自分自身の身体を見つめる機会を増やしていこうと思う。
そして、自分自身の身体を維持するためのトレーニングも意識的に行い習慣化していきたい。

Takanori

たのしい、と、うれしい

これまで「研修では学ぶことが楽しくなければならない」という表現を何度も使ってきた。

このこと自体は問題はないと思う。

辛いことを我慢しながらやっていても、ろくな学びはできないのは考えなくても分かるだろう。

現実には、勉強はつらいもの、練習は耐えるもの、みたいな考え方がまだ世の中にはたくさんあるが、次第に淘汰されていくに違いない。
昨年から「勉強会(仮称)」というのを開催している。

その中で、学ぶには「楽しい」という感情が大切、ということを伝えるためにいくつかのグループワークを行った。
私は「楽しい」というキーワードが出てくればよいと考えていたのだが、「うれしい」に対する考察も行われた。

その結果「楽しい」は過程が「楽しい」であり、「うれしい」は結果的にできたら「うれしい」という分析がなされた。

それまでは私の中で「楽しい」でひとくくりにしていたのだが、勉強会のグループワークの結果によって分かりやすく整理された。
私にとってとても大きな成果であった。
講師として研修を進めていると、それこそ脂汗を流しながら苦労して課題に取り組むシーンがよく見られるようになる。
その課程は「楽しい」とはほど遠い。
だが、できたらきっとすばらしく「うれしい」だろう。

なぜそう思うのかといえば「できるようになりたいから」だ。
だから必死に苦労しながら取り組むのだ。
つまり、研修はこうやって作ればよい。

・楽しいことをする。
・楽しいことの中に学びを含める。
・楽しいけどできない経験をさせる。
・できないことをできるようになりたいと思わせる。
・できるようになるために努力させる。
・努力の結果できたことを認識させる。
・できないことを認識させ、できるようになりたいと思わせる。
以下は繰り返しである。

途中の過程にも「楽しい」を入れれば、「楽しい」と「うれしい」の連続だ。
「うれしい」がより強くなる「悔しい」も混じれば、さらによい。
さらに具体的に言えば、

・学んでもらいたいことを分析して
・楽しめる課題にし、
・それを楽しめるように導入して実施し、
・成長を実感させて、
・課題を自分達で見つけられる

ようにしていけばよい。
勉強会(仮称)では、この流れの中の「分析」と「楽しめるような導入」というのが今の課題になっている。
「分析」はロジカルシンキングがベースではあるが、アイデアも大切である。
「楽しめるような導入」というのは、場を把握した上で、感情に働きかけるようなスピーチの力が必要になる。
これまで何気なくやっていたことを、このように明確に分析できるようになったことは、私にとっての勉強会(仮称)の成果である。

「楽しい」と「うれしい」はその象徴的なことなのだ。

さて、その勉強会(仮称)であるが、そろそろまともな名前をつけてあげたい。
次の勉強会(仮称)で提案してみようかな。

Takanori

「努力は夢中に勝てない」

ある方の Facebook のタイムラインに、表題の言葉が書かれた額の画像が流れていた。

「努力は夢中に勝てない」
元陸上選手の為末さんの言葉だそうだ。

この言葉はすごい。

人を育てる我々のような人間が創りださなければならない環境を、ひと言で表してしまっている。
私はよく「講師にできるのは環境を創ることだけ」という言い方をしている。

受講者の代わりには学べないし、丁寧に説明すれば必ず理解してもらえるわけでもない。
学んでもらうため、理解してもらうためには、受講者自身が考えて理解しなければならずそれ以外の方法はない。
より多くを理解してもらうために必要なのは「学びたくなる環境」であり、それが「夢中になれる環境」であれば、さらによい。
ひたすら課題をこなすことを求めているような学びの場では、課題をこなすことが目的となっていく。
努力を強いても、人は成長するだろう。
みんなが努力もしないでそっぽを向いているよりはよっぽどましだ。
だが、強いられた努力が楽しくなければ、研修が終わることで安心し、研修が終わってからの継続は望めないし、研修中の自主的な学びにもつながりにくい。
夢中になれる環境かどうかを見分けるのは簡単である。
受講者が「課題をやりたい」と思うか「課題をやらなければならない」と思うか聞いてみればいい。
「やりたい」と言えば楽しいのだろうし、「やらなければならならない」と言うのなら、努力を強いているのだろう。
夢中になれる研修では、研修を終わりたくない、もっと続けたい、という声が出てくる。
努力を強いられる研修では、やっと終わった、という感想になる。
「やりたい」と思うためには、その課題に対して、取り組むモチベーションがなければならない。
課題に取り組むことが「自分の役に立つ」というのももちろんモチベーションになるが、「いやだけど役に立つから」というのでは「夢中」にはならない。
役に立つ、ではなくて、楽しい、嬉しい、などの感情が元になったモチベーションが「夢中」につながる。
「夢中」であれば学びが自主的になり、幅も広がり、深さも深くなる。
そのような学びは、研修が終わっても続き、結果的に定着する可能性も高くなる。
研修において「定着」は大きなテーマである、というよりも、定着しない研修には意味がない、ぐらいに大切である。
定着のためには「夢中」になれる学びの場が一つの答なのだろう。
いつまでも学び続けたい、という気持ちで終われる研修のためには、夢中になれるモチベーションが大切だ。
夢中になれるモチベーションのためには、楽しい、嬉しい、という気持ちが欠かせない。
人は遊びの時には夢中になる。
趣味に没頭してるときはみんな夢中だろう。

だから、学びが遊びになればいい。

私はそう考える。

「努力は夢中に勝てない」のだから。

Takanori

コミュニティのありかた

三郷ミニラグビー交流会での自律分散について一つ前の記事に書いた。

今回はまた三郷ミニラグビー交流会に関連しての「コミュニティ」の話である。

何年か前までは、三郷ミニラグビー交流会というのは、私の所属するラグビースクールが運営し、各スクールがお客さんとしてきてもらう、という雰囲気だった。

もちろん、来ていただくスクールさんに気持ちよく参加してもらうための工夫は考えているのだが、なんとなく、ホストとゲスト、という関係性を感じられた。

いわば、私が属するラグビースクールというコミュニティが、ゲストを迎えている感じであった。

だが、ここ数年、変化が感じられる。

参加してくれる各スクールの方から、できることがあれば手伝いたい、というオファーをいただくことが増えてきているのだ。
実際にいろいろとお手伝いをしていただいていることも出てきている。

もちろんホストとして至らないことがあるからではあろうが、そのような場合、今までは「クレーム」とか「要望」という形で上がってきていたが、最近はそれが減っている。

そうなってくるとどうなるかというと、三郷ミニラグビー交流会自体が一つのコミュニティになってくる感じがする。
参加する多くの方が運営する意識を持ってくれることで、全体が一つのコミュニティになるのだ。

コミュニティができると、それぞれが「三郷ミニラグビー交流会の成功」という目的を持ってくれるために、多少の不便があってもそれを受け入れてくれ、改善のための工夫をしてくれたりする。

必要な事は、みんなで一つの目的を、なのだ。

それが伝わって共有されれば、全体がコミュニティになれる。

三郷ミニラグビー交流会というラグビースクールのイベントだが、組織運営、組織作りのさまざまなヒントがある。
そこからどれだけ多くのことを学べるか。

どのようにコミュニティを充実させていくのかは、これから先の課題である。
今のところ、現実的にどのように進めていくかの基本的な方針は分かるが、より具体的で効果的なアプローチはまだまだである。

来年に向けてさらなる思考と工夫をもって、より多くのことを学びたい。