Takanori

商品としての研修と、学びの場としての研修

今回はぜひ経営者の方に読んでいただきたいと思う。

先日、他の研修を主催されている方と話す機会があったのだが、その方と私との合い言葉は「人を幸せにする」研修をしたい、である。

その方と話をする中で次のような話が出てきた。

「企業の研修を担当する人事部門の壁を越えるのが難しい。」

私自身の感触もまさにその通りである。

「学ばせる研修」はこんなにいいものなのに、と思っても、ある程度の規模の研修を行う研修会社に回ってしまう、各種の研修の仕事をいただくことができない。

いくつも理由はあると思うが、2つだけあげてみよう。

まず「あやしい」である。
もちろん、知らないことであるからそう思われても仕方がない面はある。
だが、NHKでも「コーチング」という手法が「クローズアップ現代」で紹介されるなど、「考える」ことを重視する時代になっている。
「この方法でやりなさい」式では乗り切れない時代なのだ。

いつまでも「あやしい」と言いつつ、この流れに乗れなければ、いつまでも人を育てることで後手を取ることは間違いない。

進んでいる会社では「コーチングを全ての社員に学ばせる」というところまでいっている、という話もあった。
私の考えている理想の一つがそこにはあるが、コーチングスキルを学ぶことそのものが、考えることにつながっている、コミュニケーションスキルの向上につながっていることが、番組の中からもうかがえた。

もう一つは「失敗したくない」である。
今の多くの研修の形は「無難」である。

おなじみの研修であれば、おなじみの形で始まって終わる。
そこには心配が少ない。
今までよく知られている、みんなが知っている形であるからだ。
中にはワークショップを導入している研修もある。だが、本当のワークショップを知らなければ「形だけのワークショップ」となって本当の力を引き出せていないし、そのようなワークショップもたくさん見たことがある。

今、私がやろうとしていることは「ハイリスク・ハイリターン」だと思われるかもしれない。
失敗するかもしれないが、うまくいけば効果が上がるかも、である。
そう思われるのもしかたがない面はある。
全ての人が納得できるような紹介も、それを明確に伝える言葉も、残念ながら、今はない。

だが、私の研修で、受講生が残してくれた感想を見ると、皆が驚く。
特に研修事業に携わっていて、現場を知っている人はなおさらである。
なにせ、研修会社の担当者が「こんなのは見たことがない」と言うのである。

それに、実際の所は「ハイリスク」でもない。
基本が普遍的な手法であるので、大きな失敗はないのだ。

今の多くの研修は「商品としての研修」である。
カリキュラムを売っている。
研修をした、という事実を売っている。
もちろん全てがそうではないが、そういう研修が多いのは間違いない。

だが、本当は「学びの場としての研修」でなければならないのではないだろうか。
カリキュラムではなく、人が育ったという成果、を買うのだ。
研修をした事実ではなく、人が変わったという成果、を買わなければ無駄である。

1つ問題がある。
カリキュラムはコンテンツを持っていれば比較的簡単に作れるのだが、本当に学ばせられる「教え手」を育てるのはそう簡単ではないことである。

「スキルコーチング」という考え方を取り入れて講習を行っているところはまだ少ない。
いくつか知ってはいるが、それとても「考える」部分が徹底しているとは言い難いところもある。

「もっと学びたい」という感想が出てくるような研修であれば、研修が終わってからも学ぶ気持ちが持続するであろう。
そういうのが本物の「学ぶ場」であると思うし、私の研修では、そういう感想を毎年もらっている。

同じ金額で「研修をした事実」と「本物の学ぶ場と成長」のどちらを買うのが有効なお金の使い方なのだろうか。

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